TOP

坂田賞一覧

第9回坂田記念ジャーナリズム賞(2001年)

(敬称略)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

新聞の部

該当作なし

海外研修補助

・奈良新聞社「県警問題」取材班
(代表=矢ヶ井敏美・論説委員兼編集局長代理)
キャンペーン報道「県警問題」

 奈良新聞は2001年1月22日付で、大手運送会社、奈良佐川急便と県警幹部の癒着をスクープした。それが、県警をはじめ県内外を揺るがす報道の端緒となり、粘り強い取材による続報やコラムなどで捜査の進展を促した。
 県議会で問題化し3月には全国紙も一斉に報道。にもかかわらず県警の捜査は終始、身内への甘い対応が浮き彫りになり、形式的なものになった。地検が再捜査したが、結局 警察側は逮捕者を一人も出さず幕引きとなり、歴代本部長らが訓戒処分を受けたにとどまった。
 一連の報道を通じて、県警OBと現職警官の癒着の構造、キャリアと生え抜きの意識の差など、今日の警察の抱える問題が浮き彫りになった。
 選考委員会では「地域権力機構である警察の不正に粘り強く挑戦した、ジャーナリストとしての勇気と持続力は注目に値する」と評価された。

・関西テレビ放送報道スポーツ局番組制作部・迫川緑
番組「週末家族―ずっとそばにいて」

 親と離れて暮らさなければならない子どもは全国で3万人にのぼる。離婚、蒸発、虐待など、親の都合による理由がほとんどだ。そんな子どもを預かるのが児童養護施設。施設でのいろいろな試行錯誤で生まれたのが週末里親制度だ。親類などと面会もできない子どもたちに、せめて週末だけでも家庭のぬくもりを味わってもらおうというものだ。
 この番組は、そうした子どもたちと週末里親、そして実子とのかかわりを、大阪のふたつの施設を舞台に描き、親と子のありようを訴えた。
 選考委員会では「子どもたちの表情を画面で鮮明に表現した。どんな境遇でも子どもは平等に育てられるべきだというキャンペーンになる」と評価された。

昨年の研修

・京都放送報道局報道部部長・近藤晴夫
「アロハ!の出迎えはなかった」

 昨年(2000年)放送した司法特番「あなたが裁く」が坂田賞海外研修対象賞を受賞したのを機に、これから進むであろう日本の司法改革のお手本となるアメリカの司法制度を知るため、2001年11月18日から22日まで、京都弁護士会の山崎浩一弁護士に同行を願い、 常夏の国ハワイへ取材に出かけました。
 本来は、9月にアメリカのウイスコンシン州に行くことになっていたのですが、テロの影響でやむなく中止。改めて仕切り直しして今回、実現となったわけです。
 ハワイは日本人がもっとも多く訪れるところで、人気もあるのですが、こちらもテロの影響で、観光客はガ夕減り。一時は、昨年(9月)比で20%を切る最悪の状態でした。私たちが訪れた頃は半分にまで回復はしてきたそうですが、日本人は少なく、ワイキキの浜辺もまばら。「ハワイは安全!」と州をあげてアピールに努めていますが、回復にはまだ時間がかかりそうです。この余波で失業率も5.2%と深刻な状況で、観光に頼っているハワイは最大の危機に立っているのが現状です。
 (この模様は帰国翌日の23日の「ニュースきっちん」で放送)
 さて今回のハワイ取材のポイントは、日本でも裁判員制度が数年のうちに実施されることを踏まえて、陪審裁判の実情、特に陪審員制度はどのようにされるのか、二つ目は市民に対する法的サービスの提供がどのようにされているのかカメラにおさめ、12月2日の司法特番第4弾で放映することが目的です。
 ハワイの法曹資格者は約6000人、そのうち4000人が活動しています。内訳は約3000人が弁護士、裁判官は80人、検察官150人、公設弁護人100人、ほか政府関係者となっています。この中で驚いたのは裁判官の約半数が女性判事であることです。
 今回、取材に応じて頂いた裁判官もサブリナ・マッケナ判事で女性でした。自宅で取材ができたのですが、実にきさくな方で、日本語はぺらぺら。2児の母親で、子煩悩。親子でスポーツを愛し、子どもにテレビゲームをさせるのは週に1回だけ。しかし、日本のアニメビデオならいつ見てもよい。なぜなら 「日本語の勉強になるから」と少し教育ママ? ぶり。どこでも見られる家庭のひとこまを垣間見ることができました。
 ハワイの裁判官は日本のキャリアシステム(社会経験なくそのまま載判官になる)と違って、裁判官以外の法律家としての実務に従事したものから任命されるのが特徴です。いわゆる法曹一元化のシステムです。マッケナ判事もロースクール卒業後、法律事務所に5年間勤務、その後日本の企業の専属弁護士に。そしてハワイ大学の助教授を務め、93年から判事となった方です。
 社会の実務経験を通して活躍。「判事のやりがいはジャスティス。裁判所はアメリカでは一番ジャスティスの場所であり、市民に公平な裁判であったという印象を持ってもらうことが大切」と熱く語ってくれました。
 判事の協力で、巡回裁判所(日本の地方裁判所にあたる)の法廷を撮影することができました。裁判は小切手の偽造をめぐる刑事訴訟でちょうど陪審員の選定が行われていました。 裁判官が陪審員候補にあいさつし、事案の内容を紹介。都合の悪い人は名乗り出るように呼びかけます。何人かは都合の悪い人がいて理由を述べますが、裁判官はすんなりとは聞き入れません。「今回の拘束は短いが、次回はもっと長く拘束されますよ」と笑顔でハートにクギを刺します。このやりとりはなかなかお目にかかれるものではありません。こうして時間をかけて陪審員の選定を行うのです。
 次に訪れたのは、公設弁護人です。日本に該当する人はいませんが、やがて必要となるでしょう。彼らは弁護士事務所に属さず、貧しい人の弁護人として働いています。州からの補助金でまかなわれていて決して裕福ではありません。なぜそこまでするのかの問いかけに、 彼らは「金だけでなく、人のため、弱者のためにやること。奉仕の精神が生きがいなのです」 という答えが返ってきまし た。人情の厚いハワイ。まだまだ捨てたものじゃないというのが実感でした。
 さらに、こうした活動は、家庭内暴力やホームレスの手助けをするボランティアリーガルサービスや電話での相談に応じて適切なアドバイスをしているリーガルエードソサエティといった組織まで広がっており、法社会に根ざしたアメリカの懐の深さを知ることができました。
 ロースクールは実際に取材できなかったのですが、驚いたことがありました。それは課外授業で夜、裁判官と弁護士、それに学生が集まって講義をやっていたことです。日本でまず集まること自体考えられません。しかも裁判官が弁護士に裁判の進行や陪審員に与える印象などのアドバイスをしているのです。なぜ、こんなことができるのか。これはすぐに分かりました。先ほども記しましたが、裁判官は弁護士経験を積んだ人からなっていて、先輩としての適切な指導、後継者の育成に努めているのです。
 マスメディアではボブ・ジョーンズという方にお会いできました。彼は元新聞記者でテレビのニュース番組の解説、アンカーマンを務めるなど実績のある方で、今はハワイ大学の客員教授です。彼は12年前に法廷にテレビを入れることに尽力。当時の苦労話やメリット、デメリットについて話を伺うことができました。ただ、アメリカも日本と同じで、真面目な番組はあまり見ないそうですが、あのシンプソン事件の裁判によって、「一般市民は法律の知識が増え、司法が身近なものになった」ということで、これからの日本社会における司法とメディアが果たす役割について大いに参考になりました。
 ハワイ到着時、恒例の「アロハ」という出迎えの言葉はありませんでしたが、これからの日本に必要な言葉を見つけてきました。それは……市民のために生きる「ジャスティス」。 (ハワイ取材の模様は2001年12月2日「司法特番 21世紀の司法はこう変わる」 で放映しました)」

・産経新聞大阪本社社会部雪印とそごう取材班(代表=別府育郎・社会部次長)
「凶行は防げなかったか」米国からの報告
社会部・三笠博志

 米国に出張することになったのは、単純な疑問を解くためだった。平成13年6月に起きた池田小児童殺傷事件のような凶行を、ほかの国なら防げたのではないかということだ。 米中枢同時テロの余韻がやや小さくなった秋、サンフランシスコに飛んだ。
 あの事件の犯人、宅間守被告は過去に何度も事件を起こしながら、精神障害を理由に罪を問われない「触法精神障害者」として不起訴になり、「何をやっても許される」とうそぶくまでになった。事件直後の連載記事でそうした加害者に偏った法律や制度は、先進国では日本だけだと紹介したが、実際に海外の現状をルポする必要があった。
 取材先は、触法精神障害者を専門に処遇する司法精神病棟、検察、弁護士など多岐に及んだ。その内容は11月下旬に連載した。少なくとも米国なら、池田小事件の前の宅間被告のような、司法と医療のはざまに放置される存在はありえなかったことを伝えられたつもりだ。

第9回坂田記念ジャーナリズム賞の詳細ページを開く

第8回坂田記念ジャーナリズム賞(2000年)

(敬称略)

海外研修補助

・産経新聞大阪本社雪印とそごう取材班
(代表=別府育郎・社会部次長)
連載報道「雪印とそごうブランドはなぜ墜ちたか」

 1万3420人という過去最多の食中毒被害者を出した雪印乳業と、総額1兆8700億円にものぼる負債を出して経営破綻したそごうを対象に、社会部、経済部を中心に取材班を編成し、ニュースを追いながら、2000年8月から「ブランドはなぜ墜ちたか」の連載を始めた。多数の関係者へのインタビュー、集中的で丹念な取材で「事件」の深層に迫った。両社の内部で何が起き、変質していったかを明らかにするとともに、経営陣の危機管理能力の欠如と社会的責任意識の低さを白日のもとにさらし、戦後日本の驚異的な経済成長を支えてきた企業の制度疲労やゆがみとして問題提起した。連載は単行本にもなった。

・京都放送報道部
(代表=近藤晴夫・報道部長)
陪審裁判制度特別報道番組「あなたが裁く!!」

 2000年11月4日午後7時から2時間の放送。司法制度改革の動きを敏感にとらえ、陪審裁判制度を分かりやすく報道した。実際にあった窃盗未遂事件を素材に、陪審裁判ドラマ部分と司法関係者ら識者による討論の2部で構成。日本に戦前、陪審裁判があったことからスタートして、京都地裁から移築して立命館大学構内に現物保存されている陪審法廷を使ってドラマを進行させた。番組のなかで平行して、視聴者からファクスや電子メールによる表決意見を求める市民参加形式を取り入れ、市民の関心と理解を深めた。

昨年の研修

・産経新聞大阪本社ひったくり取材班
(代表=木村正人・大阪府警記者クラブキャップ)
ドイツと日本の医療制度の差 社会部・堀洋記者

 産経新聞で「医療現場で今」という連載企画をしており、日本国内の医療制度や医療の質の問題点を洗い直す取材を担当していたが、この中で海外との比較をする必要にせまられ、ドイツに取材先を選んだ。ドイツには日本人医師の南和友という世界的にも有名な心臓移植医がおられたこと、さらにドイツと日本の医療保険制度が似ていたという点が選択した理由。取材のほとんどは南医師が勤務するバドユンハウゼン市のフルトライン・ウェストファーレン 州立心臓センターで行った。
 心臓センターは一見して日本の総合病院とは全く違った。まず、病院 特有の消毒液の臭いがせず、診療を長々と待つ患者もいないし、そもそも待合室もない。国家的には国立循環器病センター (大阪府吹田市)と似た位置づけだが、その機能や医師のレベルは全く違った。 心臓センターでは、心臓を止めて行う開心術と呼ばれる手術を毎日20例近く行う。当然、医師は毎日、トレーニングを積むため、手術時間は短かくなり、患者の負担は少なくなる。脳死からの心臓移植や心肺同時移植も1週間に2回程度は行われる。日本では心臓の手術は多くても週に1回程度。移植に至っては年に2回ぐらいだ。そのため、日本の外科医の手技は未熟で、ドイツで3時間で終わる手術に一日かけることもしばしばある。心臓センターでは実際に手術室に入れてもらい、心臓移植を見学させてもらったが、移植手術でさえ、4時間で終わった。
 もう一つ制度の点で日本と徹底的に違うのは細分化された専門医制度だ。ドイツでは医師国家試験が大きく言えば2回ある。大学卒業時に受ける試験と外科や内科、小児科など の専門医の認定試験だ。専門医認定試験にパスしないと保険診療はできないため、事実上、医師を仕事にできない。専門医認定試験を受けるには、その専門の病院で2年から3年間、トレーニングしなければならない。トレーニングを受けている医師に適性があるかは、専門病院で監督され、適性がないと判断されれば、早いケースでは半年間で病院を解雇されるという厳しさ。さらに専門医になっても、数年に一度は免許を更新しなければならない。大学卒業後、国家試験に通れば一生、医師として診療できる日本とは違う。
 こうした医療が実践されているドイツでは患者の表情は明るい。日本 の患者たちのように医師を本当に信用できるのかどうかビクビクしている現状とは全く違うといっていい。 ドイツの医療現場の現状の取材は、日本の現状を映す鏡としては極めて有意義だった。日本人は盲目的に日本の医療は世界レベルと信じている。しかし、医学研究はともかく、日常的に行われる診療や治療に関しては天と地ほどの差があることが実感できたのは貴重な体験だった。

・毎日放送 猶原祥光記者(アンコールこども病院取材班代表)
 30年にわたって内戦が続いたカンボジアには今も600万個の地雷が眠り、これまでにこどもたちを含む4万人以上が死傷している。
 毎日放送では、この惨状を目にして小児病院建設に立ち上がった大阪出身の写真家・井津建郎さんとともに1997年から現地同行取材を継続して行なっている。これまでの放送実績は、「筑紫哲也NEWS23」などのニュース番組で現地からの衛星生放送を含む15回、ラジオでの放送2回にのぼり99年3月には、1時間の報道特別番組も放送した。
 また、今年4月には、日本を代表するトランペッター・日野皓正氏が病院を訪れ、治療に訪れた子どもたちのためにボランティアで生演奏をする模様を紹介した。病院は間もなく開院から丸3年を迎えるが、1日平均100人もの患者を抱えながらも教育施設などの拡張に努めている。毎日放送では今後もこうした病院の成長を記録していく予定である。

第8回坂田記念ジャーナリズム賞の詳細ページを開く

第7回坂田記念ジャーナリズム賞(1999年)

(敬称略)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

新聞の部

該当作なし

海外研修補助

・産経新聞大阪本社ひったくり取材班(代表=木村正人・大阪府警記者クラブキャップ)
「アカン 許さん ひったくり」連載企画報道

 被害額が少ない、凶悪でない、などと放置されがちな「ひったくり」を単発の事件報道に終わらせず、日本が誇る街路の安全の揺らぎととらえ、平成10年に取材班を編成、平成 11年1月15日から12月25日まで 64回連載。単なる犯罪・非行報道に終わらせず、犯人の人物像、心理に立ち入るなど「ひったくり」が、家庭や学校、地域の問題であり、お年寄りや女性達が標的にされる重大な社会問題であるとして、さまざまな角度から追及し展開した。ひったくり撲滅シンポジウムの開催と紙面展開、連載を集大成した単行本も出版した。 平成11年の全国ひったくり件数は大阪だけが減少に転じており連載の意図をも果たした。

・毎日放送アンコールこども病院取材班 (代表=猶原祥光編集センター社会部主事)
「アンコールこども病院~写真家が見たカンボジアの光と影」

 地雷による死傷者をいまも出しているカンボジアの子供たちのために、病院をつくろうと立ち上がった豊中市出身の写真家、井津建郎さんに、1997年夏から現地へ同行取材。ローカルニュース「MBSナウ」での放送12回、「筑紫哲也NEWS23」で3回放送するなどカンボジアの医療の実態、地雷被害の現状を追いながら、こども病院建設の経過を紹介。病院の完成を見届けた1999年3月、報道特別番組「アンコールこども病院~写真家が見たカンボジアの光と影~」を放送した。「共に病院をつくる」の姿勢で臨み、募金も呼び掛け4000万円が集まった。今後も「共に運営する」との姿勢で取材、報道を続ける。

昨年の研修

・産経新聞大阪本社関西かがやき会議取材班(代表=笠原昇・編集局次長)
 平成11年7月24日から9日間、谷口峰敏編集局企画担当部長が社会部記者らと「かかやき未来塾」の海外特別版として「大草原モンゴル体験スクール」に参加。関西各府県から参加した31人の小、中、高生らとともに、モンゴルの厳しい自然、植物や動物の観察、現地の子供たちとの交流を通して、自然と共生する暮らしを体験した。その報告を8月2日、12日に紙面化した。

・読売新聞大阪本社文化部記者 朝日義樹、山森雅弘「上方放送お笑い史」連載
 平成11年7月15日から16日間、カナダ・モントリオール市で催された「Just for Laugh Festival」の取材に山森記者が参加。世界三大コメディ・フェスティバルに数えられている同大会には上方落語家の笑福亭鶴笑が招待された。しゃれた笑い、ナンセンスな笑いなどの大道芸が期間中に2千回も行われ見物客は百万人を越えた。その模様は 8月2日から3回にわたって特集で紹介した。

・和歌山放送「和歌山日本一物語」取材・制作チーム(代表=鈴木裕範・報道制作局長)
 平成12年4月14日から17日間、鈴木局長が英国、ポルトガルへ。天神崎、南方熊楠、 熊野詣での宣教師らとの関連も視野に入れ「和歌山日本一」をからめて紀州人の足跡をたずねた。英国の町おこし・村おこし、歴史・景観保護の現状についてフィールドワーク。さらにポルトガルのなかの「和歌山」を発見しつつ、今後の地域づくりと報道に役立たせる資料とした。

・関西テレビ放送「交通死~被害者は2度殺される」(早川尚子・報道部員)
 平成12年6月17日から28日間、早川さんはインド、ブータンへ。オウムをはじめ、足裏診断、定説セミナーなど近年の新興宗教やカルトブームに共通して見受けられるのは既存宗教の一部のまね、権威の借用。彼らの拠り所とするものは何か。本家であるアジアの名高い宗教的聖地をたずね、インドの修行僧ととりまく民衆の中に身を置き、世に言う宗教ブームの背景をさぐってきた。

第7回坂田記念ジャーナリズム賞の詳細ページを開く

第6回坂田記念ジャーナリズム賞(1998年)

(敬称略)

第1部門(スクープ・企画報道)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

放送の部

該当作なし

海外研修補助

・産経新聞大阪本社「かがやけ関西」報道取材チーム(代表=笠原昇・編集局次長)
 関西の魅力を見直し輝かせようと1997年から「かがやけ関西!」運動を展開。
 関西がもつ独自性に視点を据え、関西と関わり深い文化人による小学校での「かがやき未来塾」を開催し、21世紀を担う小学生たちに直接語りかけてもらい紙面化したほか、関西 をよくする「100人提言」の毎週月曜日掲載、21世紀の都市のあり方をさぐる座談会、フォーラム、ルボ特集などを展開してきた。編集局を中心に全社的に取組み、2001年まで継続していく予定。

・読売新聞大阪本社文化部記者 朝日義樹・山森雅弘「上方放送お笑い史」
 昭和初期から現在までの放送演芸の歴史を、放送演芸に関わった二百人以上に及ぶ芸能人、現役、OBから面談した上、現存する資料等と照会し、史実として精度の高い連載ものに仕立て、1996年1月から1998年4月まで夕刊芸能欄に掲載した。これまで回顧的な私史が多く、さらには落語、漫才、コメディ等のジャンルに絞られた書が多かったが、上方演芸を「放送」という土俵に乗せて、証言を軸にその全体を俯瞰、通史として読者に示した。

・和歌山放送「和歌山日本一物語」取材・制作チーム(代表=鈴木裕範・報道制作局長)
 地域のメディアは、自らが立脚する地域社会に対して深く関わる役割と責任がある、との考えに立って制作されたラジオ番組。県内にあるミカン等産物 や人物等「日本一」を発掘した。放送は1995年10月から1998年 12月末まで100回を越えた。歴史、自然に恵まれながらも、1998年1月阪和銀行が業務停止命令を受け、毒物カレー事件が発生するなど和歌山のイメージダウンが続くなか、同番組は地域に対して元気と勇気、自信へとつながる役割を果たしている。

・関西テレビ放送報道部記者 早川尚子「交通死~被害者は 二度殺される」
 交通事故死者は年間1万人を超えるが、被害者や遺族には、事故の原因や事実を知らされることなく、不起訴になるケースもある。東京世田谷区の小学2年生がダンプにひき逃げされ、運転手は逮捕されたものの不起訴になった死亡事故と河内長野市の小学生の死亡事故の例から、「証拠を持ってきなさい」とどなられた被害者の両親の悲痛な声をとりあげる一方、「一人の人間としての死」を取り戻すためにはどうしたらいいのかと問いかけながら、事故処理の矛盾、車社会の抱える問題点を追った。(1998年7月8日放送)

昨年の研修

・読売新聞大阪本社「いのち見つめて」取材班(代表=築山弘・生活情報部長)
 生活情報部の森川記者を1998年7月アフリカ中南部のザンビアへ。働く日本人の姿を通して医療の現状を取材した。「命見つめて番外編・ザンビアから」を8月8日紙面から連載。20%を超える乳児の死亡率、飲み水も薬も病院もベッドも足りない現実をレポート、さらに現地NPO日本人が農業指導などで活躍している姿を紹介した。

・朝日放送「北朝鮮による日本人拉致事件疑惑報道」(石高健次・東京支社報道部長)
 石高健次部長は1998年6月17日韓国のソウルへ。IMF経済といわれる韓国経済の落ち込みを各方面で取材。失業の実態は深刻でソウル駅前には多くの職をなくした人々がたむろしている現実を目にし、社会資本投入等の財政 出動などの政府の金融構造改革案などの情報を収集した。

第6回坂田記念ジャーナリズム賞の詳細ページを開く

第5回坂田記念ジャーナリズム賞(1997年)

(敬称略)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

放送の部

該当作なし

海外研修補助

・読売新聞大阪本社「いのち見つめて」取材班(代表=築山弘・生活情報部長)
 京都・京北病院で起きた安楽死問題をきっかけに、誰もが避けられない死をみんなで考えようとのねらいで、平成8年7月から連載を開始。末期患者を見とった家族、医師、看護婦らの姿やホスピス、インフォームドコンセントの現状などを取材、平成9年までに5部、104回にわたって展開。「よりよく生きるために、死とどう向き合えばいいのか」「高齢社会を迎え、納得できる終末期を過ごすには、しっかりと死を見つめる必要がある」など、生と死の論議を深めた。

・朝日放送「北朝鮮による日本人拉致疑惑報道」石高健次・東京支社報道部長
 石高記者は1990年代初めから疑惑を追跡、1995年には「闇の波涛から」と題してまとめ、さらに取材を継続してテレビドキュメンタリーに集大成、昨年5月28日「空白の家族たち」として1時間放送された。20年前に突然姿を消した新潟の女子中学生。なんの手がかりもなく失意の両親。石高記者は少女が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で生きているらしい、との情報を得て伝えた。生きて会える日を夢見る両親の姿や、同じように拉致されたとみられる他の家族たちとの思いを分かち合う姿を追った。

昨年の研修

・産経新聞大阪本社「いま日本人の心」取材班(代表=柳原正志・社会部長)
 文化部の福島香織記者を1997年11月ケニアの首都ナイロビに派遣。貧困のため捨てられたり、部族対立で両親をなくした子供たちの孤児院を運営する日本人女性と会い、子供たちの姿や取り巻く環境人間関係、そして子供たちの夢、孤児院の実情等を取材。「マトマイニのビッグママーケニアの孤児院から」のタイトルで 1998年1月7日付生活面から連載スタートしました。

・読売新聞大阪本社阪神震災実態調査取材班(代表=岸本弘一・地方部長)
 山崎正記者を1997年10月イタリア、ギリシャへ派遣。阪神大震災の復興までの長い道のり、迅速とはいえなかった被災者救援の実態を踏まえ、1997年9月の直下型地震で大規模な被害を出したイタリア・ウンブリア州で全土で保管されているテント等準備の周到さを学んだり、ギリシャ・アテネ大学などで取材活動。1997年11月16日付と12月17日付の2回現地からの報告として掲載された

・毎日新聞大阪本社「海外買春に法の網を」坂口佳代・特報部記者
 坂口記者は1997年8月タイへ。タイは子供の性的搾取が深刻な国の一つだが、児童買春や児童ポルノを撲滅しようという運動はタイで始まり、国際的な運動の広がりのなかで各国に法整備を促した。こうしたタイの現状や日本とのかかわりを取材、子供たちの声や政府の取組、警察とNGOとの連帯や日本国内の動きを調べた。1997年9月21日付朝刊1面などで児童買春等を体罰する法案の概要やタイの実情などを掲載した。

・毎日放送「歪みの光景」取材班(代表=梅本史郎ニュースセンター副部長)
 猶原祥光記者を1997年11月カンボジアに派遣、医療事情と地震被害の実態を取材した。1975年から3年9ヵ月に及んだポルポト派の支配で社会基盤が壊滅状態になったカンボジアの医療水準はアジアはおろか世界でも最低水準といえる。一方この国には600万個という地雷が埋められており、いまも死傷者が跡をたたない。病院でも十分な治療が受けられない人々、地雷除去作業、小児科病院建設の様子などを「MBSナウ」のほか、「ニュース23」で特集し放送した。

第5回坂田記念ジャーナリズム賞の詳細ページを開く

坂田賞一覧