坂田賞一覧
第5回坂田記念ジャーナリズム賞(1997年)
(敬称略)
第1部門(スクープ・企画報道)
新聞の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
放送の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
海外研修補助
・読売新聞大阪本社「いのち見つめて」取材班(代表=築山弘・生活情報部長)
京都・京北病院で起きた安楽死問題をきっかけに、誰もが避けられない死をみんなで考えようとのねらいで、平成8年7月から連載を開始。末期患者を見とった家族、医師、看護婦らの姿やホスピス、インフォームドコンセントの現状などを取材、平成9年までに5部、104回にわたって展開。「よりよく生きるために、死とどう向き合えばいいのか」「高齢社会を迎え、納得できる終末期を過ごすには、しっかりと死を見つめる必要がある」など、生と死の論議を深めた。
・朝日放送「北朝鮮による日本人拉致疑惑報道」石高健次・東京支社報道部長
石高記者は1990年代初めから疑惑を追跡、1995年には「闇の波涛から」と題してまとめ、さらに取材を継続してテレビドキュメンタリーに集大成、昨年5月28日「空白の家族たち」として1時間放送された。20年前に突然姿を消した新潟の女子中学生。なんの手がかりもなく失意の両親。石高記者は少女が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で生きているらしい、との情報を得て伝えた。生きて会える日を夢見る両親の姿や、同じように拉致されたとみられる他の家族たちとの思いを分かち合う姿を追った。
昨年の研修
・産経新聞大阪本社「いま日本人心取材班(代表=柳原正志・社会部長)
文化部の福島香織記者を1997年11月ケニアの首都ナイロビに派遣。貧困のため捨てられたり、部族対立で両親をなくした子供たちの孤児院を運営する日本人女性と会い、子供たちの姿や取り巻く環境人間関係、そして子供たちの夢、孤児院の実情等を取材。「マトマイニのビッグママーケニアの孤児院から」のタイトルで 1998年1月7日付生活面から連載スタートしました。
・読売新聞大阪本社阪神震災実態調査取材班(代表=岸本弘一・地方部長)
山崎正記者を1997年10月イタリア、ギリシャへ派遣。阪神大震災の復興までの長い道のり、迅速とはいえなかった被災者救援の実態を踏まえ、1997年9月の直下型地震で大規模な被害を出したイタリア・ウンブリア州で全土で保管されているテント等準備の周到さを学んだり、ギリシャ・アテネ大学などで取材活動。1997年11月16日付と12月17日付の2回現地からの報告として掲載された
・毎日新聞大阪本社「海外買春に法の網を」坂口佳代・特報部記者
坂口記者は1997年8月タイへ。タイは子供の性的搾取が深刻な国の一つだが、児童買春や児童ポルノを撲滅しようという運動はタイで始まり、国際的な運動の広がりのなかで各国に法整備を促した。こうしたタイの現状や日本とのかかわりを取材、子供たちの声や政府の取組、警察とNGOとの連帯や日本国内の動きを調べた。1997年9月21日付朝刊1面などで児童買春等を体罰する法案の概要やタイの実情などを掲載した。
・毎日放送「歪みの光景」取材班(代表=梅本史郎ニュースセンター副部長)
猶原祥光記者を1997年11月カンボジアに派遣、医療事情と地震被害の実態を取材した。1975年から3年9ヵ月に及んだポルポト派の支配で社会基盤が壊滅状態になったカンボジアの医療水準はアジアはおろか世界でも最低水準といえる。一方この国には600万個という地雷が埋められており、いまも死傷者が跡をたたない。病院でも十分な治療が受けられない人々、地雷除去作業、小児科病院建設の様子などを「MBSナウ」のほか、「ニュース23」で特集し放送した。
第4回坂田記念ジャーナリズム賞(1996年)
(敬称略)
第1部門(スクープ・企画報道)
新聞の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
放送の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
第2部門(国際交流・国際貢献報道)
新聞の部
該当作なし
放送の部
該当作なし
海外研修補助
・產經新聞大阪本社編集局「いま日本人のこころ」取材班(代表=柳原正志・社会部長)
阪神大震災は、人々に多くの悲しみと苦痛を心に残しました。また核家族は老人介護の深刻さを生み、成熟したと思われてきた社会のほころびを縫い合わせるのが次第に難しくなっているようです。人々は何を頼りに生き、どこに希望を見だそうとしているのか、「いま日本人のこころ」のテーマで1年間連載。第1部「やすらかな光を求めて」、第2部「揺らぐ企業社会のなかで」、第3部「結び直すきずな」、第4部「遠くの声に導かれて」、第5部「巡りくる日々を見つめて」、第6部「いつくしむ時を生きて」と57回掲載されました。
・読売新聞大阪本社編集局「阪神大震災実態調査」取材班(代表=岸本弘一・地方部長)
未曾有の災害から1年。全域をきめ細かくとらえ復興に欠かせない支援内容や被害者の切実な要望を知る必要があると被災者5000人、遺族1000人を対象に取り組んだ実態調査でした。大学の研究者4人の助言を得ながら50の設問を作成、29都道府県で面接調査。順調に復興へ歩む人、住宅問題や収入などで隘路に落ち込んでいる人と二極化が判明。「両親が死んで相続税に追われ再建どころではない」など、現行制度の矛盾も。調査結果は1月11日の朝刊に1面、中面8頁を使って報道しました。
・毎日新聞大阪本社「海外買春に法の網を」の一連の報道
坂口佳代・特別報道部記者
日本人男性によるアジアでの子供に対する“買春”行為が国内外の批判を浴びています。欧州では「子供の権利条約」に基づく法改正などで対していますが、日本に処罰する規定がありません。そこで坂口記者は刑法の国外犯規定・強制わいせつ罪の適用はできないかと取材続け、7月14朝刊1面で「告訴へ」と低年齢層まで手を伸ばす日本人男性の無軌道ぶりを報じました。その後もフィリピンで被害少女や容疑者本人インタビュー。現地NGOなどの取材を進め、8月にかけ紙面で告発を続けました
・毎日放送報道局「歪みの光景」取材班(代表=梅本史郎・ニュースセンター副部長)
民間では血のにじむリストラに取り組んでいるのに “官”は既得権益を手放そうとしない。 官益に一部民間の癒着した利権構造。吸い込まれる税金。それらの官の非常識をあぶりだそうと、4月から夕方の報道番組「MBSナウ」の特集「歪みの光景」として取り組みました。取り上げたテーマは、阪神大震災の被災地で他市の水道業者は工事をさせてもらえないという水道工事規制の矛盾や「パチンコカード化の問題点」など平成8年中に17回に及びました。
昨年の研修
・産経新聞大阪本社編集局「新風 アジア発見」取材班(代表=鳥海美朗・社会部次長)
社会部の市坪和博記者と写真部の奈須稔記者を米国ロサンゼルスへ派遣。多民族・多国籍の選手で構成され、野茂投手で人気が高まった「ドジャース球団」やヒスパニック社会、93年の暴動の後遺症などを取材。その結果は同紙の96年の年間企画「共生アジア太平洋」に生かされました。
・奈良新聞編集局「50年目の日本」取材班(代表=川筋宏・報道部記者)
平成8年11月川筋記者と田中太一写真記者をインドへ派遣。15日間にわたり奈良県関係者のインドでの活躍を見てきました。さらに弾圧を逃れて移り住むダライラマ14世ら多くのチベット仏教者のいる同国北部のダラムサラーを訪れました。ここで弁天宗(本部・奈良県五条市)が建設に全面協力したチベット仏教の学問寺の完成、落慶法要を取材しました。
第3回坂田記念ジャーナリズム賞(1995年)
(敬称略)
第1部門(スクープ・企画報道)
新聞の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
放送の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
第2部門(国際交流・国際貢献報道)
新聞の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
放送の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
海外研修補助
・産経新聞大阪本社編集局「新風 アジア太平洋」取材班(代表=鳥海美朗・社会部次長)
平成7年はAPEC大阪会議の年。年間テーマの一つに「アジア太平洋地域」を据え、同年1月から12月までシリーズ「大衆文化」(取材地・香港、台北)、「女性問題」(シンガポール、マレーシア)、「環境問題」(タイ、モンゴル)などを連載。掲載は朝刊1面で、統一テーマを「新風 アジア太平洋」として9シリーズの展開でした。経済の急成長が地域の人々の日常生活にどんな変化をもたらしているのか、また大阪、関西とどのような交流があるのかも追跡しました。
・奈良新聞「50年目の日本」特別取材班(代表=川筋宏・報道部記者)
戦中世代から戦後世代へと受け継がれた太平洋戦争の実感は、戦後世代から次の世代へと引き継がれて、「2度目の継承」の時期を迎えている。しかし、戦後世代からのものは間接的体験の継承になっており、前の直接的体験に比べて現実味が薄らいでいる、との視点で企画。「50年目の日本風化する戦争」のタイトルで平成7年7月28日から22回連載。戦後100年、150年にも通用するような反戦平和の思想、運動はどんなものになるのかを追求しました。
昨年の研修
・産経新聞大阪本社「関西発! LOOK WEST」取材班
社会部の岡崎秀俊記者を平成7年8月ニュージーランドへ派遣。日本語を教える中等教育、関西に焦点を合わせる経済人、地震国として大震災対策に乗り出す姿を取材しました。企画記事「KANSAI発」に「ニュージーランドと日本 強まる絆」「変わるニュージーランド 脱欧入亜」が掲載されました。
・奈良新聞取材班
浅野詠子記者を台湾、西原秀典記者を香港へ派遣。浅野記者は、明治時代台湾に渡ったとされる奈良・吉野杉の造林技術の確認と林業の現状を取材。平成7年12月「海を渡った吉野杉 緑の台湾」として5回連載されました。西原記者は奈良県から多くの企業が進出している香港の経済活動を取材、同年9月「香港を行く アジアの金融センター」として2回のルポが掲載されました。
第2回坂田記念ジャーナリズム賞(1994年)
(敬称略)
第1部門(スクープ・企画報道)
新聞の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
放送の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
第2部門(国際交流・国際貢献報道)
新聞の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
放送の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
海外研修補助
・産経新聞大阪本社「関西発! LOOK WEST」取材班(代表=小原常雄・編集局次長)
・奈良新聞社「固定資産問題」特別取材班(代表=浅野詠子・政経部課長)
昨年の研修
・毎日放送フロン問題取材班
木田洋一記者らを平成6年11月中国内蒙古自治区へ派遣、大阪の業者がタイの華僑と手を組み、日本向けに無農薬を売り物にしたコメの大生産基地を作りつつあり、つぶさに取材、報道しました。
・NHK大阪放送局アジアマンスリー取材班
報道部の木下富夫ディレクターが平成6年5月香港、台湾で関西国際空港の開港に伴う日本市場への参入について探りました。その取材は同年秋に放送されたテレビ番組「プライム11・手さぐりの日本進出~ アジアの企業は大阪に何を見たか」制作の参考にされました。
・京都新聞社「世界はいま」取材班
大橋昌子記者が平成6年4月下旬シンガポールで、わが国の宗教教団の海外布教と現地での反応を取材。道又隆弘記者が7月下旬ベトナムで、ドイモイ導入の中の若者の活躍を探りました。いずれも連載企画「こころの世紀」第5部「海を越えて」と「ドイモイに映る顔」(変わるベトナムで)に反映されました。
第1回坂田記念ジャーナリズム賞(1993年)
(敬称略)
第1部門(スクープ・企画報道)
新聞の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
放送の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
海外研修補助
・京都新聞社「世界はいま」取材の国際部(代表=清原邦雄・編集副委員長)
・毎日放送「フロン問題」フロン問題取材班(代表=小林章良・経済部副部長)
・NHK大阪放送局「アジアマンスリー」班 (代表=土屋三千夫・チーフプロデューサー)