坂田賞一覧

第7回坂田記念ジャーナリズム賞(1999年)

(敬称略)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

新聞の部

該当作なし

海外研修補助

・産経新聞大阪本社ひったくり取材班(代表=木村正人・大阪府警記者クラブキャップ)
「アカン 許さん ひったくり」連載企画報道

 被害額が少ない、凶悪でない、などと放置されがちな「ひったくり」を単発の事件報道に終わらせず、日本が誇る街路の安全の揺らぎととらえ、平成10年に取材班を編成、平成 11年1月15日から12月25日まで 64回連載。単なる犯罪・非行報道に終わらせず、犯人の人物像、心理に立ち入るなど「ひったくり」が、家庭や学校、地域の問題であり、お年寄りや女性達が標的にされる重大な社会問題であるとして、さまざまな角度から追及し展開した。ひったくり撲滅シンポジウムの開催と紙面展開、連載を集大成した単行本も出版した。 平成11年の全国ひったくり件数は大阪だけが減少に転じており連載の意図をも果たした。

・毎日放送アンコールこども病院取材班 (代表=猶原祥光編集センター社会部主事)
「アンコールこども病院~写真家が見たカンボジアの光と影」

 地雷による死傷者をいまも出しているカンボジアの子供たちのために、病院をつくろうと立ち上がった豊中市出身の写真家、井津建郎さんに、1997年夏から現地へ同行取材。ローカルニュース「MBSナウ」での放送12回、「筑紫哲也NEWS23」で3回放送するなどカンボジアの医療の実態、地雷被害の現状を追いながら、こども病院建設の経過を紹介。病院の完成を見届けた1999年3月、報道特別番組「アンコールこども病院~写真家が見たカンボジアの光と影~」を放送した。「共に病院をつくる」の姿勢で臨み、募金も呼び掛け4000万円が集まった。今後も「共に運営する」との姿勢で取材、報道を続ける。

昨年の研修

・産経新聞大阪本社関西かがやき会議取材班(代表=笠原昇・編集局次長)
 平成11年7月24日から9日間、谷口峰敏編集局企画担当部長が社会部記者らと「かかやき未来塾」の海外特別版として「大草原モンゴル体験スクール」に参加。関西各府県から参加した31人の小、中、高生らとともに、モンゴルの厳しい自然、植物や動物の観察、現地の子供たちとの交流を通して、自然と共生する暮らしを体験した。その報告を8月2日、12日に紙面化した。

・読売新聞大阪本社文化部記者 朝日義樹、山森雅弘「上方放送お笑い史」連載
 平成11年7月15日から16日間、カナダ・モントリオール市で催された「Just for Laugh Festival」の取材に山森記者が参加。世界三大コメディ・フェスティバルに数えられている同大会には上方落語家の笑福亭鶴笑が招待された。しゃれた笑い、ナンセンスな笑いなどの大道芸が期間中に2千回も行われ見物客は百万人を越えた。その模様は 8月2日から3回にわたって特集で紹介した。

・和歌山放送「和歌山日本一物語」取材・制作チーム(代表=鈴木裕範・報道制作局長)
 平成12年4月14日から17日間、鈴木局長が英国、ポルトガルへ。天神崎、南方熊楠、 熊野詣での宣教師らとの関連も視野に入れ「和歌山日本一」をからめて紀州人の足跡をたずねた。英国の町おこし・村おこし、歴史・景観保護の現状についてフィールドワーク。さらにポルトガルのなかの「和歌山」を発見しつつ、今後の地域づくりと報道に役立たせる資料とした。

・関西テレビ放送「交通死~被害者は2度殺される」(早川尚子・報道部員)
 平成12年6月17日から28日間、早川さんはインド、ブータンへ。オウムをはじめ、足裏診断、定説セミナーなど近年の新興宗教やカルトブームに共通して見受けられるのは既存宗教の一部のまね、権威の借用。彼らの拠り所とするものは何か。本家であるアジアの名高い宗教的聖地をたずね、インドの修行僧ととりまく民衆の中に身を置き、世に言う宗教ブームの背景をさぐってきた。

第7回坂田記念ジャーナリズム賞の詳細ページを開く

第6回坂田記念ジャーナリズム賞(1998年)

(敬称略)

第1部門(スクープ・企画報道)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

放送の部

該当作なし

海外研修補助

・産経新聞大阪本社「かがやけ関西」報道取材チーム(代表=笠原昇・編集局次長)
 関西の魅力を見直し輝かせようと1997年から「かがやけ関西!」運動を展開。
 関西がもつ独自性に視点を据え、関西と関わり深い文化人による小学校での「かがやき未来塾」を開催し、21世紀を担う小学生たちに直接語りかけてもらい紙面化したほか、関西 をよくする「100人提言」の毎週月曜日掲載、21世紀の都市のあり方をさぐる座談会、フォーラム、ルボ特集などを展開してきた。編集局を中心に全社的に取組み、2001年まで継続していく予定。

・読売新聞大阪本社文化部記者 朝日義樹・山森雅弘「上方放送お笑い史」
 昭和初期から現在までの放送演芸の歴史を、放送演芸に関わった二百人以上に及ぶ芸能人、現役、OBから面談した上、現存する資料等と照会し、史実として精度の高い連載ものに仕立て、1996年1月から1998年4月まで夕刊芸能欄に掲載した。これまで回顧的な私史が多く、さらには落語、漫才、コメディ等のジャンルに絞られた書が多かったが、上方演芸を「放送」という土俵に乗せて、証言を軸にその全体を俯瞰、通史として読者に示した。

・和歌山放送「和歌山日本一物語」取材・制作チーム(代表=鈴木裕範・報道制作局長)
 地域のメディアは、自らが立脚する地域社会に対して深く関わる役割と責任がある、との考えに立って制作されたラジオ番組。県内にあるミカン等産物 や人物等「日本一」を発掘した。放送は1995年10月から1998年 12月末まで100回を越えた。歴史、自然に恵まれながらも、1998年1月阪和銀行が業務停止命令を受け、毒物カレー事件が発生するなど和歌山のイメージダウンが続くなか、同番組は地域に対して元気と勇気、自信へとつながる役割を果たしている。

・関西テレビ放送報道部記者 早川尚子「交通死~被害者は 二度殺される」
 交通事故死者は年間1万人を超えるが、被害者や遺族には、事故の原因や事実を知らされることなく、不起訴になるケースもある。東京世田谷区の小学2年生がダンプにひき逃げされ、運転手は逮捕されたものの不起訴になった死亡事故と河内長野市の小学生の死亡事故の例から、「証拠を持ってきなさい」とどなられた被害者の両親の悲痛な声をとりあげる一方、「一人の人間としての死」を取り戻すためにはどうしたらいいのかと問いかけながら、事故処理の矛盾、車社会の抱える問題点を追った。(1998年7月8日放送)

昨年の研修

・読売新聞大阪本社「いのち見つめて」取材班(代表=築山弘・生活情報部長)
 生活情報部の森川記者を1998年7月アフリカ中南部のザンビアへ。働く日本人の姿を通して医療の現状を取材した。「命見つめて番外編・ザンビアから」を8月8日紙面から連載。20%を超える乳児の死亡率、飲み水も薬も病院もベッドも足りない現実をレポート、さらに現地NPO日本人が農業指導などで活躍している姿を紹介した。

・朝日放送「北朝鮮による日本人拉致事件疑惑報道」(石高健次・東京支社報道部長)
 石高健次部長は1998年6月17日韓国のソウルへ。IMF経済といわれる韓国経済の落ち込みを各方面で取材。失業の実態は深刻でソウル駅前には多くの職をなくした人々がたむろしている現実を目にし、社会資本投入等の財政 出動などの政府の金融構造改革案などの情報を収集した。

第6回坂田記念ジャーナリズム賞の詳細ページを開く

第5回坂田記念ジャーナリズム賞(1997年)

(敬称略)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

放送の部

該当作なし

海外研修補助

・読売新聞大阪本社「いのち見つめて」取材班(代表=築山弘・生活情報部長)
 京都・京北病院で起きた安楽死問題をきっかけに、誰もが避けられない死をみんなで考えようとのねらいで、平成8年7月から連載を開始。末期患者を見とった家族、医師、看護婦らの姿やホスピス、インフォームドコンセントの現状などを取材、平成9年までに5部、104回にわたって展開。「よりよく生きるために、死とどう向き合えばいいのか」「高齢社会を迎え、納得できる終末期を過ごすには、しっかりと死を見つめる必要がある」など、生と死の論議を深めた。

・朝日放送「北朝鮮による日本人拉致疑惑報道」石高健次・東京支社報道部長
 石高記者は1990年代初めから疑惑を追跡、1995年には「闇の波涛から」と題してまとめ、さらに取材を継続してテレビドキュメンタリーに集大成、昨年5月28日「空白の家族たち」として1時間放送された。20年前に突然姿を消した新潟の女子中学生。なんの手がかりもなく失意の両親。石高記者は少女が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で生きているらしい、との情報を得て伝えた。生きて会える日を夢見る両親の姿や、同じように拉致されたとみられる他の家族たちとの思いを分かち合う姿を追った。

昨年の研修

・産経新聞大阪本社「いま日本人の心」取材班(代表=柳原正志・社会部長)
 文化部の福島香織記者を1997年11月ケニアの首都ナイロビに派遣。貧困のため捨てられたり、部族対立で両親をなくした子供たちの孤児院を運営する日本人女性と会い、子供たちの姿や取り巻く環境人間関係、そして子供たちの夢、孤児院の実情等を取材。「マトマイニのビッグママーケニアの孤児院から」のタイトルで 1998年1月7日付生活面から連載スタートしました。

・読売新聞大阪本社阪神震災実態調査取材班(代表=岸本弘一・地方部長)
 山崎正記者を1997年10月イタリア、ギリシャへ派遣。阪神大震災の復興までの長い道のり、迅速とはいえなかった被災者救援の実態を踏まえ、1997年9月の直下型地震で大規模な被害を出したイタリア・ウンブリア州で全土で保管されているテント等準備の周到さを学んだり、ギリシャ・アテネ大学などで取材活動。1997年11月16日付と12月17日付の2回現地からの報告として掲載された

・毎日新聞大阪本社「海外買春に法の網を」坂口佳代・特報部記者
 坂口記者は1997年8月タイへ。タイは子供の性的搾取が深刻な国の一つだが、児童買春や児童ポルノを撲滅しようという運動はタイで始まり、国際的な運動の広がりのなかで各国に法整備を促した。こうしたタイの現状や日本とのかかわりを取材、子供たちの声や政府の取組、警察とNGOとの連帯や日本国内の動きを調べた。1997年9月21日付朝刊1面などで児童買春等を体罰する法案の概要やタイの実情などを掲載した。

・毎日放送「歪みの光景」取材班(代表=梅本史郎ニュースセンター副部長)
 猶原祥光記者を1997年11月カンボジアに派遣、医療事情と地震被害の実態を取材した。1975年から3年9ヵ月に及んだポルポト派の支配で社会基盤が壊滅状態になったカンボジアの医療水準はアジアはおろか世界でも最低水準といえる。一方この国には600万個という地雷が埋められており、いまも死傷者が跡をたたない。病院でも十分な治療が受けられない人々、地雷除去作業、小児科病院建設の様子などを「MBSナウ」のほか、「ニュース23」で特集し放送した。

第5回坂田記念ジャーナリズム賞の詳細ページを開く

第4回坂田記念ジャーナリズム賞(1996年)

(敬称略)

第1部門(スクープ・企画報道)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

新聞の部

該当作なし

放送の部

該当作なし

海外研修補助

・產經新聞大阪本社編集局「いま日本人のこころ」取材班(代表=柳原正志・社会部長)
 阪神大震災は、人々に多くの悲しみと苦痛を心に残しました。また核家族は老人介護の深刻さを生み、成熟したと思われてきた社会のほころびを縫い合わせるのが次第に難しくなっているようです。人々は何を頼りに生き、どこに希望を見だそうとしているのか、「いま日本人のこころ」のテーマで1年間連載。第1部「やすらかな光を求めて」、第2部「揺らぐ企業社会のなかで」、第3部「結び直すきずな」、第4部「遠くの声に導かれて」、第5部「巡りくる日々を見つめて」、第6部「いつくしむ時を生きて」と57回掲載されました。

・読売新聞大阪本社編集局「阪神大震災実態調査」取材班(代表=岸本弘一・地方部長)
 未曾有の災害から1年。全域をきめ細かくとらえ復興に欠かせない支援内容や被害者の切実な要望を知る必要があると被災者5000人、遺族1000人を対象に取り組んだ実態調査でした。大学の研究者4人の助言を得ながら50の設問を作成、29都道府県で面接調査。順調に復興へ歩む人、住宅問題や収入などで隘路に落ち込んでいる人と二極化が判明。「両親が死んで相続税に追われ再建どころではない」など、現行制度の矛盾も。調査結果は1月11日の朝刊に1面、中面8頁を使って報道しました。

・毎日新聞大阪本社「海外買春に法の網を」の一連の報道
坂口佳代・特別報道部記者

 日本人男性によるアジアでの子供に対する“買春”行為が国内外の批判を浴びています。欧州では「子供の権利条約」に基づく法改正などで対していますが、日本に処罰する規定がありません。そこで坂口記者は刑法の国外犯規定・強制わいせつ罪の適用はできないかと取材続け、7月14朝刊1面で「告訴へ」と低年齢層まで手を伸ばす日本人男性の無軌道ぶりを報じました。その後もフィリピンで被害少女や容疑者本人インタビュー。現地NGOなどの取材を進め、8月にかけ紙面で告発を続けました

・毎日放送報道局「歪みの光景」取材班(代表=梅本史郎・ニュースセンター副部長)
 民間では血のにじむリストラに取り組んでいるのに “官”は既得権益を手放そうとしない。 官益に一部民間の癒着した利権構造。吸い込まれる税金。それらの官の非常識をあぶりだそうと、4月から夕方の報道番組「MBSナウ」の特集「歪みの光景」として取り組みました。取り上げたテーマは、阪神大震災の被災地で他市の水道業者は工事をさせてもらえないという水道工事規制の矛盾や「パチンコカード化の問題点」など平成8年中に17回に及びました。

昨年の研修

・産経新聞大阪本社編集局「新風 アジア発見」取材班(代表=鳥海美朗・社会部次長)
 社会部の市坪和博記者と写真部の奈須稔記者を米国ロサンゼルスへ派遣。多民族・多国籍の選手で構成され、野茂投手で人気が高まった「ドジャース球団」やヒスパニック社会、93年の暴動の後遺症などを取材。その結果は同紙の96年の年間企画「共生アジア太平洋」に生かされました。

・奈良新聞編集局「50年目の日本」取材班(代表=川筋宏・報道部記者)
 平成8年11月川筋記者と田中太一写真記者をインドへ派遣。15日間にわたり奈良県関係者のインドでの活躍を見てきました。さらに弾圧を逃れて移り住むダライラマ14世ら多くのチベット仏教者のいる同国北部のダラムサラーを訪れました。ここで弁天宗(本部・奈良県五条市)が建設に全面協力したチベット仏教の学問寺の完成、落慶法要を取材しました。

第4回坂田記念ジャーナリズム賞の詳細ページを開く

第3回坂田記念ジャーナリズム賞(1995年)

(敬称略)

第1部門(スクープ・企画報道)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

新聞の部

海外研修補助

・産経新聞大阪本社編集局「新風 アジア太平洋」取材班(代表=鳥海美朗・社会部次長)
 平成7年はAPEC大阪会議の年。年間テーマの一つに「アジア太平洋地域」を据え、同年1月から12月までシリーズ「大衆文化」(取材地・香港、台北)、「女性問題」(シンガポール、マレーシア)、「環境問題」(タイ、モンゴル)などを連載。掲載は朝刊1面で、統一テーマを「新風 アジア太平洋」として9シリーズの展開でした。経済の急成長が地域の人々の日常生活にどんな変化をもたらしているのか、また大阪、関西とどのような交流があるのかも追跡しました。

・奈良新聞「50年目の日本」特別取材班(代表=川筋宏・報道部記者)
 戦中世代から戦後世代へと受け継がれた太平洋戦争の実感は、戦後世代から次の世代へと引き継がれて、「2度目の継承」の時期を迎えている。しかし、戦後世代からのものは間接的体験の継承になっており、前の直接的体験に比べて現実味が薄らいでいる、との視点で企画。「50年目の日本風化する戦争」のタイトルで平成7年7月28日から22回連載。戦後100年、150年にも通用するような反戦平和の思想、運動はどんなものになるのかを追求しました。

昨年の研修

・産経新聞大阪本社「関西発! LOOK WEST」取材班
 社会部の岡崎秀俊記者を平成7年8月ニュージーランドへ派遣。日本語を教える中等教育、関西に焦点を合わせる経済人、地震国として大震災対策に乗り出す姿を取材しました。企画記事「KANSAI発」に「ニュージーランドと日本 強まる絆」「変わるニュージーランド 脱欧入亜」が掲載されました。

・奈良新聞取材班
 浅野詠子記者を台湾、西原秀典記者を香港へ派遣。浅野記者は、明治時代台湾に渡ったとされる奈良・吉野杉の造林技術の確認と林業の現状を取材。平成7年12月「海を渡った吉野杉 緑の台湾」として5回連載されました。西原記者は奈良県から多くの企業が進出している香港の経済活動を取材、同年9月「香港を行く アジアの金融センター」として2回のルポが掲載されました。

第3回坂田記念ジャーナリズム賞の詳細ページを開く

坂田賞一覧