坂田賞一覧

第12回坂田記念ジャーナリズム賞(2004年)

(敬称略)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

新聞の部

該当作なし

放送の部

該当作なし

海外研修補助

・朝日放送報道情報局記者・藤井容子
ドキュメンタリー・スペシャル「僕って?~教育の新たな課題、軽度発達障害~」

 「軽度発達障害」。一見して分かりにくいこの障害は、社会から長く見過ごされ、周囲の知識のなさとそこからくる無理解が当人や教育現場に不幸な事態を招いてきた。2004年12月には、発達障害者支援法もできた。国が本腰を入れ始めた背景には、軽度発達障害と凶悪な少年事件との関係性を指摘する声があることだ。すべてのケースに共通するものではないが、1997年の神戸の少年A事件など世間を震撼させた事件の加害少年に、軽度発達障害が診断されているのも事実なのである。
 こうした事情から、軽度発達障害児とそれを取り巻く環境へのカメラ取材は実は容易ではなかった。取材対象者とは何度も話し合い、「軽度発達障害への理解を深めたい」という共通の想いを胸に、1年半かけて番組が出来上がったのである。
 軽度発達障害は、いじめ、不登校、学級崩壊、虐待といった大きな社会問題と密接に関わっている。こうした教育現場が抱えるさまざまな課題を解決するのに重要だとの認識からこのドキュメンタリーは成立している。
 選考委員会では「新聞等の報道で軽度発達障害児が小中学校で増加しているという事実は知られていた。しかし実際にどれほど深刻なものかは、このドキュメンタリー映像でなければ伝えられない側面がある。取材者と取材対象者との信頼関係がなければ不可能な場面を記録したことは、この問題解決の重要なきっかけになるようにも思われる。この困難な取材を映像的に見せる工夫も含めて、取材者の報道活動は高く評価される」とされた。

・読売テレビ放送エグゼクティブ・プロデューサー・中川禎昭
「紅紅(ホンホン)13歳の旅立ち~中国・黄土高原に生きる~」

 毎年春になると、西日本を中心に降り注ぐ黄砂。この黄砂の発生源は、荒涼とした大地が広がる中国内陸部の黄土高原。凍てつく大地の中、1人の少女が水桶を天秤棒で担ぎ、山道を登って行く。少女の名は玉少紅、愛称紅紅(ホンホン)。両親は都会に出稼ぎに行ったまま2年半も戻ってこない。残された病弱な祖父母の面倒は紅紅がみている。
 夜明け前からの勉強を続け、中学入試を自信をもって終えるが、出稼ぎ先の両親から学費送金は無理との報せが届く。紅紅は自分の気持ちを伝えるため、生まれて初めて乗る長距離バスで両親の出稼ぎ先に向かう。担任の先生の尽力もあって、やっと進学が叶うことになる。
 しかし紅紅の不安は尽きない。祖父母の健康状態、いつまで続くか予想のつかない学費。 それでも紅紅は熱い希望を胸に、寄宿生活に備えて布団を背負い1人村を後にするが……。
 発展を続ける中国沿岸部の華やかな情報だけが伝えられる現在、中国のもう一つの側面を浮かび上がらせるとともに、われわれ日本人が経済的豊かさの中で見失いつつあるものを、きめ細かい映像で語りかけてくる。
 選考委員会では「最近の中国の急速な発展、繁栄の陰にある中国内陸の実態を赤裸々に描写した作品」「この報道の秀逸なところは、運命の行く末が決して明るくはなさそうなのに、へこたれず到底負けそうにない少女の表情、何一 つ言わず、ただ孫を見守る祖父の表情である。表情がすべてを物語る。テレビの魂は表現である」と評価された。

海外研修の報告

・朝日新聞「ダスキン事件」取材班(代表=緒方謙・大阪本社地域報道部次長兼社会部次長)
北京散策
大阪本社社会部・西村磨

 ベンツ、BMW、アウディ・・・・・。北京首都空港と北京市中心部を結ぶ高速道路[首都機場高速公路]を外国製高級車が時速120キロ以上の速度で走り抜けていく。一瞬、ドイツのアウトバーンを走っているかのように思えた。道路両端にはポプラが整然と植えられていたが、木々は排気ガスと砂ぼこりで雪をかぶったように真っ白になっていた。近代化の裏側で、環境対策が遅れている現状がかいま見えた。
 北京に入った日の夕方、北京最大の繁華街・王府井を歩いた。通りには大型デパートが立ち並び、日本人と変わらない装いの若者があふれていた。北京市は4年後の北京五輪を控え、あちこちでデパートやオフィスビルの建設が進む。その建設予定地の多くが、胡同(フートン)と呼ばれるレンガ造りの住宅街を壊して造成されたものだった。
 胡同は元王朝以降、内モンゴルの人々が建てた四合院造りの建物が連なる街並みだ。華やかなデパートの裏通りでは胡同の解体が進み、無数のレンガが積み上げられていた。ガイドによると、北京市は現在、市内25カ所の胡同を保存するよう義務づけているという。
 当日は日曜日とあって、天安門広場、故宮博物院は観光客であふれていた。紫禁城とも呼ばれる故宮の敷地面積は約72万平方メートル。明王朝の永楽4年(1406年)から14年かけて造られた。清王朝最後の皇帝溥儀まで24人の皇帝がここに君臨し、中国を支配した。2体の獅子像に守られた故宮の太和門をくぐると、広大な広場と皇帝の戴冠式などの重要な儀式が行なわれたとされる太和殿が目に飛び込んできた。数え切れないほどの家来たちが広場で皇帝にひれ伏した様子が、数百年の時を越えて容易に想像できた。
 近代化が進む北京では、年々貧富の格差が広がっているとされる。ガイドを務めてくれた御さんによると、北京の人々の年収は4万元ぐらい。1平方メー トル約1万元(約13万円)の高級マンションが次々と売れているという。一方で、環状と東西の2つある地下鉄では、体が不自由な男性が車内をはい回って乗客に金を求める姿をよく見かけた。北京市の玄関口北京駅は地方都市から出稼ぎに来たとみられる人々であふれていた。
 天安門から西に約5キロの場所に中国革命軍事博物館がある。館内には数々の戦争で使われた武器や資料が数多く展示されていた。立ち寄ったつもりが、気が付くと2時間がたっていた。見学者の多くは中国人で、抗日戦争の歴史を示す展示品を食い入るように見つめていた。中でも南京大虐殺の写真や資料の前にはたくさんの人だかりができていた。
 8月のサッカーアジアカップで中国人サポーターが反日的応援をしたことについて、東京都知事は「民度が低いからしょうがない」と切り捨てた。反日的応援が明らかに「民度」の問題ではないと感じた。(研修期間2004年8月21日~25日)

・NHKスペシャル「阪神を変えた男~監督・星野仙一~」取材班(代表・大宮龍市NHK大阪放送局報道部部長)
アテネ五輪現地派遣レポート
NHK報道局スポーツ報道センター 前大阪放送局ディレクター・加藤篤

 ギリシャの太陽は、エーゲ海の反射も手伝って、街からすべての水分を蒸発させるらしい。 アクロポリスから見渡すアテネの街は石造りの建物と大気中に漂う埃で一層白々と見えた。 私は今回頂いた坂田賞海外研修のおかげで、アテネ五輪放送に携る機会を得た。目的はオリンピック開催直前の街の表情を中継で伝えるというものだ。当然「盛り上がっているアテネ」 を描写することが期待されている。その期待に応えられるだけの現実が、はたしてこの街に見つけられるのだろうか? 不安を抱えながら私は街を歩き、オリンピック前の空気を肌で感じてみることにした。
 ふと、オリンピックのマグカップが目に入った。その土産物屋は店先にサッカー・ギリシャチームのTシャツを所狭しと並べてあった。EURO2000というヨーロッパチャンピオンを決める大会でギリシャが優勝、思いがけない快挙にアテネ中が大騒ぎとなったそうだ。 そのTシャツの片隅に、控えめにオリンピックの公式グッズが置かれていた。
 店長に話を聞くと、オリンピックが近づけば、いつもはギリシャの民芸品を並べている1階フロアをすべてオリンピックグッズに置き換えるという。ギリ シャでは「その時」にならないと盛り上がらないのだということらしい。私は一安心して、どこにどんなグッズを置くのか、中継カメラの動線をイメージしながら店長と打ち合わせをすることができた。
 こうして開幕前の中継は、当初の目的通り伝えることができた。開幕後の盛り上がりはすでにご存じの通りである。開幕前はオリンピックへの期待をチラとも見せていなかった街の表情が一転したのだ。ただでさえ狭いアテネの道路はギリシャ国旗を窓から振って走る車であふれ、カフェでは大画面テレビの競技中継に見入る人たちが夜遅くまでグラスを傾けていた。
 今回感じたのは、当たり前のことではあるが、国民性の違いだった。乱暴な言い方かもしれないが、ギリシャの人々は「あらかじめ期待することが少ない」。いや「楽しいものはその余韻までじっくり味わおう」と言い換えたほうが正しいかもしれない。「自分の目で見て面白いものは面白い」と受け入れる気質が骨の髄までしみこんでいるように思えるのだ。 先のことに期待するのではなく、今あるものを大切にしようという気質というべきか。
 たった数十日の滞在でギリシャの国民性まで論じるのは荒っぽいことではあるが、今回の経験は大いに考えさせられるものだった。これからもスポーツ競技だけでなく、そのバックボーンにスポットを当て、その国、人々の生き様まで想像できる知的好奇心を満たすことができるようなスポーツ報道に努めていきたいと思った。(この中継は2004年8月9日~13日「ニュース10」で放送された)

第12回坂田記念ジャーナリズム賞の詳細ページを開く

第11回坂田記念ジャーナリズム賞(2003年)

(敬称略)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

海外研修補助

・朝日新聞「ダスキン事件」取材班
(代表=緒方謙・大阪本社地域報道部次長兼社会部次長)

 清掃用品レンタル最大手「ダスキン」(大阪府吹田市)の千葉弘二元会長らが取引先に1億8000万円の不正な資金を提供し、東京地検特捜部が特別背任の疑いで捜査を始めたことを特報した。さらに、ダスキンから土屋義彦・埼玉県知事(当時)の長女、市川桃子氏のコンサルタント会社に、この取引先と大手広告会社の2社を経由させる不明朗な方法で計約1000万円が支払われていたことをスクープした。
 とりわけ後者のスクープは、東京地検特捜部が特別背任事件後に、市川氏の立件を想定していることを他社に先駆けて明らかにしたもので、参院議長、全国知事会会長などの要職を歴任した土屋知事が辞任するきっかけをつくった。
 選考委員会では「ダスキン元会長らによる不正な資金流用事件を手がかりに、当時の土屋義彦埼玉県知事にからむ政治資金規正法違反容疑をいち早く特報した地道で適切な報道活動はスクープ・企画報道として優秀である。とりわけ土屋知事の長女のコンサルタント会社への不明朗な資金提供のスクープは、大物知事として君臨した土屋氏の辞任を余儀なくさせるきっかけとなり、ジャー ナリズムとしての監視機能を発揮した」と評価された。

・NHKスペシャル「阪神を変えた男~監督・星野仙一~」取材班
(代表=大宮龍市NHK大阪放送局報道部部長)

 阪神タイガース・星野仙一監督は、徹底したリストラの断行や、選手コー チへの意識改革で、「ダメ虎」と言われ低迷してきたチームを18年ぶりのリーグ優勝に導いた。
 NHKは今回、これまでほとんど取材が許されなかった極秘のコーチ会議、甲子園球場の監督室などに密着取材。体力の限界やプレッシャーと闘いながら指揮を執る星野監督の姿や、コーチ・有力選手へのインタビューをもとに、知られざるチーム改革の舞台裏を描いた。 番組は関西地区で視聴率25.0%を記録するなど、大きな反響を呼んだ。
 選考委員会では「星野阪神の活躍を映像としてよくまとめた。企画力、取材力、集中力、 娯楽性に富んだ、時宜を得た執念ある作品」と評価された。

昨年の研修

毎日新聞「世界子ども救援キャンペーン」取材班
(代表=中島章雄・社会部副部長)
忘れられた国の子どもたち 大阪本社社会部・一色昭宏

 罪のない子どもだちが手足を切断され、兵士として殺人や略奪を強要される。スラムでごみに囲まれた暮らしを強いられ、病気になっても満足な治療すら受 けられない……
 毎日新聞大阪社会部「世界子ども救援キャンペーン報道」の坂田賞海外研修対象受賞を機に、2003年7月から1カ月余り、内戦が終わったばかりの西アフリカの小国シエラレオネを訪ねた。同じ時代を生きる者として、その悲惨さを伝えたいと思っての取材だったが、内戦の傷跡と貧困の深刻さは想像をはるかに越えた。
 1000人中316人。3人に1人が5歳の誕生日を迎える前に命を落とす世界最悪の乳幼児死亡率が、この国の子どもたちの置かれた状況を端的に物語っていた。平均寿命は日本の半分以下の34歳。世界の注目が集まるイラクやアフガニスタンに比べ、ほとんど馴染みのない国だが、その実情に目を向け、関心を持ち続けることが何より重要だと痛感した。
 91年に始まった内戦は10年余り続いた。同国東部で産出されるダイヤモンドの利権を巡り、隣国リベリアに支援された反政府勢力が武装蜂起したのがきっかけだった。人口約460万人のうち5万人が死亡、200万人以上が故郷を追われた。
 シエラレオネ内戦の悲劇は、反政府勢力が無差別に行った「手足切断作戦」に象徴される。 「殺さず、障害者を発生させて敵の負担を強いる」という狙いから、兵士だけでなく多数の子どもを含む数千人の被害者が出た。首都フリータウンのアンプティー(切断された人たちの)キャンプで、右腕のない女の子(8)が水くみを手伝う姿には衝撃を受けた。腕を切断された時は4歳。左腕だけでは他の子どものように水を入れた容器を頭に載せることができず、体をくねらせ、自宅まで休み休みに運んでいた。
 「この子を誘拐し、腕を切り落とした兵士たちはみな薬漬けだった。人間のやることじゃない」。同居するおばさんは吐き捨てるように言った。
 左腕を切断された少女(17)は傷口の縫合部の痛みに苦しんでいた。手術が必要だがお金がなく、病院に行っても痛み止めの薬を渡されるだけ。学校に通えず、家族が引き取れないため1人でキャンプに暮らしていた。被害者は老若男女を問わない。みんな仕事がなく、口々に「外国の援助なしに生きてゆけない」と訴えていた。
 1万人以上といわれる「元子ども兵」にも出会った。少年と同様に銃を持たされた少女も多く、「元少年兵」という言葉ではくくれないことを実感した。子どもたちの多くは10歳にも満たない時に反政府勢力に誘拐された。学校を襲われ、クラスごとさらわれたケースもあったという。ある少年は「戦闘に駆り出される時はいつも最前線。大人たちは後からついて来た」と証言した。
 子どもたちの自立を支援しようとパソコン講習を行っているNGOスタッフは「使う順番などささいなことですぐにけんかになる。突然キレる子も多い」と気をもんでいた。内戦中、数え切れないほど人の死に接した子どもたちの心のケアも急務だと感じた。人口が急増し、悪臭漂うスラムでは、洗濯もトイレも遊び場も同じ川。診療所の薬は不足し、日本では容易に助かる命が次々に失われていた。
 取材中、何度も絶望的な気分になったが、救われたのは、子どもたちの表情が明るかったことだ。両親を殺された、オノで右目をえぐられた16歳の女の子は「人のためになる仕事をしたい」と言い、右足を失った16歳の少年も「しっかり勉強して手に職をつけたい」と前向きに将来を見据えていた。
 連載記事を書いた後、これまでに十数回小中学校へ「出前授業」に出かけた。「私たちは何をすればいいんですか」と尋ねられる度に「まずは関心を持って」と答えてきた。無関心によって悲劇は拡大する。特効薬はなくても、自分に何ができるか、一人一人が自分の頭で考えてほしいと考えたからだ。取材の成果は記事だけでなく、教育現場の先生方の協力を得て 難民教材ビデオ」という形になった。少しでも、日本の子どもたちの理解が広がるきっかけになればと思う。
 ようやく笑顔が戻り始めたシエラレオネの子どもたちの表情が2度と曇ることがないよう、これからも関心を持ち続けたい。

第11回坂田記念ジャーナリズム賞の詳細ページを開く

第10回坂田記念ジャーナリズム賞(2002年)

(敬称略)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

新聞の部

該当作なし

放送の部

該当作なし

海外研修補助

・毎日新聞「世界子ども救援キャンペーン」取材班
(代表=中島章雄・社会部副部長)
キャンペーン報道「世界子ども救援キャンペーン」

 毎日新聞が1979年に始めた「飢餓・貧困・難民救済キャンペーン」は記念すべき第1回坂田記念ジャーナリズム賞を受賞した。21世紀に入り、難民の中でも特に母親と子どもが苦しい生活を強いられていることに注目し、同じ時を生きる母と子に手を差しのべようと「世界子ども救援キャンペーン」に衣替えした。
 2001年10月8日、米英軍がアフガン空爆を開始した日カンボジアの連載を開始。内戦終結後も多くの子どもたちが苦しむ姿を報告し「命の尊さ」を読者に訴えた。キャンペーン開始から4半世紀。平和をつくる営みはまだ続く。
 選考委員会では「読者・視聴者に優しいメディアの手本とすべき報道。活字と写真という新聞メディアの特性を十分生かした報道であり社会運動だ」との評価がありました。

昨年の研修

・奈良新聞社「県警問題」取材班
(代表=矢ケ井敏美・論説委員兼編集局長代理)

Ⅰ.鑑真への旅―能「大和上」奉納
 平成14年10月8日から11日まで、奈良市の唐招提寺が鑑真の故郷である中国・揚州市の大明寺を訪問し、報道部の桑原理恵記者が同行取材した。鑑真和上来日1250年を記念し、唐招提寺が金春流能楽師・櫻間真理師に鑑真にちなんだ能「大和上」の創作を依頼。これを大明寺で最初に奉納することになり 益田快範長老をはじめとする訪中団が奈良県知事、 奈良市長の親書を携え大明寺を訪れた。
 日本では鑑真は幾多の困難を乗り越えて仏教の戒律を伝えたとして知られており、奈良仏教のなかでも重要な存在だが、中国を訪問してみると、日本以上に鑑真の存在が知られていることが分かり、驚いた。中国では、文化大革命やそれ以前の廃仏毀釈などで、仏教の置かれた立場は難しいと想像していたが、大明寺は予想をはるかに上回る大きな寺であるだけでなく、国からも特別に保護されており、日本以上に篤い信仰心に守られていることを感じた。奈良での日本の文化や伝統、仏教美術を担当する記者として、1250年前に唐から日本へ渡った偉大な僧の足跡を訪ねた取材は貴重な体験であったと同時に、1250年の時を経て日本と中国の懸け橋になっていることを実感できた。
 掲載は同年10月22日から24日まで3回。
Ⅱ. 韓国・釜山 チヂミ紀行―本場の味を求めて
 平成14年11月、 武智功論説委員が取材。
 もともと関西は在日韓国・朝鮮人が多く、韓国 (朝鮮)料理はポピュラーな料理の一つになっている。しかし近年のエスニック料理のブームや、2002年のワールドカップ、アジア大会などの影響もあって、韓国(朝鮮)料理は全国的にもさらに身近な存在になってきた。
 こうしたなかで韓国料理の「チヂミ」と日本の「お好み焼き」の関係はどのようなものかと、日本と朝鮮半島とは古代から様々な交流があったが、食の文化交流の一例として「チヂミ」を取り上げてみた。
 韓国入りして、多くの人に話を聞くうちに、「チヂミ」の類は、宗教儀式もからんだ奥の深い料理であることが分かり、1回の取材ではとうてい全容を知ることはできないと判断、 本紙レジャー面での読み物に仕立てた。朝鮮半島の焼き物を、独自の審美眼で取り上げた、 千利休の時代に「お好み焼き」の起源をもとめ、同時代の韓国の小麦粉料理を紹介した。連載は平成15年4月30日 5月8日、15日付の3回。
Ⅲ. 観光開発の主役たち―絹の道の国 ウズベキスタンを訪ねて
 平成15年3月13日から26日までの14日間、社会部の岩野英明記者が平成8年旧ソ連から独立したウズベキスタン共和国を訪問した。
 奈良県では、同国から観光開発に関わる人材育成の要請を受けた国際協力事業団 (JICA) の研修事業を、国際協力の一環として受託。平成14年度から5カ年計画でウズベキスタンの観光振興支援の取り組みを始め、14,15年度の2カ年で20人の研修生を受け入れた。シルクロードを代表する世界遺産を有する同国で、観光産業に携わる研修生11人に会い、県の研修で受けた知識や経験は何か、自国での観光振興にどのように役立てているのか取材。 安定した経済発展のため観光振興することは、国民の生活水準を短期間で良くする方法だとする意欲を感じた。世界遺産のあるサマルカンド、ブハラ、ヒヴァの各都市も訪問した。 独立後、急激な変化はないものの、中央アジアに位置するウズベキスタンは歴史的に素晴らしい遺産が点在する。シルクロードに興味があり、中央アジアにおける文明のダイナミズムに魅力を感じている人には楽しめる地域で、歴史ある観光資源は観光面からも将来有望な国だと思う。
 連載は4月10日~13日、19日、21日、23日付の7回。

・関西テレビ放送「週末家族―ずっとそばにいて」迫川緑記者
NGO「日越医療交流センター」活動報告 迫川記者
 大阪の阪南中央病院を中心としたNGO「日越医療交流センター」は毎年、ベトナムの農村地域に診療所を建設し、住民診療を行っている。枯葉剤による健康被害の実態調査と無医村地域への医療支援が目的だ。ドキュメンタリー番組の取材をさせていただいたことが縁で今回ご一緒させていただいた。
 1970年生まれで32歳。戦争が終わるころ枯葉剤を浴びた赤ちゃんが今、生殖期にさしかかっている。あるいは兵士たちの孫が生まれている。そしていまだに多くの先天奇形児が生まれている。
 枯葉剤に含まれるダイオキシンの影響が大きいことはわかっているが、それが、今、生まれている赤ちゃんにも及んでいると言えるのか。孫の代になっている赤ちゃんにまで及んでいると言えるのか。大国アメリカがうやむやにしたい中で、どこまでをダイオキシンによるものであるかと立証するのはとてつもなく難しい。
 そこで重要になってくるのが、ベトナムの人たちの基礎データである。血中ダイオキシン濃度、その他の指標、抱えている症状……できるだけ広範囲に、長い期間にわたって集めたデータが生きてくる。これを目的に日越医療交流センターは地道な活動を続けている。もちろん検査だけが目的にならないよう、ベトナム政府の要請にこたえる形で無医村地域に診療所を建設し、医療相談を行っている。
 今回訪問したのは北部の農村のノンハ村。枯葉剤散布地域ではないが、北部からも多くの兵士が駆り出されている。もちろん医者などひとりもいない。次から次へと患者が現れた。
 こんな山深い農村で、こんなにも障害を持つ人たちがいるのかと驚いたが、それ以上に、 そんな障害を持ちながら、一度も医者にかかっていない人がこれまた多いのに驚いた。彼らの支援も砂地に水をまくようなむなしさが残る。
 だが、医師も看護師も妙に元気なのだ。阪南中央病院が経営難に追い込まれながらも理想の医療を追求しようとしている様を2カ月にわたり取材させていただいたが、みな毎日ぐったり疲れているようだった。そんな彼らが、うだるような暑さの中、実に楽しそうにしている。聞くと、「ベトナムの子どもたちをみていると、なんか元気が出るんですよ」。確かに、 子どもたちの強い目の輝きをみているだけでこっちまで元気になってくる。「迫川さんも病院に取材に来ている時より元気ですね」と言われてしまった。
 自分でビデオカメラを持ったことで、被写体に近づく楽しさも味わえた。本当にこの人たちは医療が好きなんだなあと感心したが、自分も根っからのテレビ屋だなあと感じることができた。いい経験をさせていただけたと思っている。
 我々メディアは、新しいことに目を奪われがちで、継続する力に欠けているところが多い。 彼らの医療支援は、夏休み代わりの気楽なものというところもあるのだろうが、地味ながら息の長い交流になっている。14年目を迎え、診療所も21カ所を数えた。
 「継続は力なり」。座右の銘にして記者活動を続けていきたいと思う。
 番組は2002年9月26日スーパーニュース「ほっとカンサイ」で放送。

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第9回坂田記念ジャーナリズム賞(2001年)

(敬称略)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

新聞の部

該当作なし

海外研修補助

・奈良新聞社「県警問題」取材班
(代表=矢ヶ井敏美・論説委員兼編集局長代理)
キャンペーン報道「県警問題」

 奈良新聞は2001年1月22日付で、大手運送会社、奈良佐川急便と県警幹部の癒着をスクープした。それが、県警をはじめ県内外を揺るがす報道の端緒となり、粘り強い取材による続報やコラムなどで捜査の進展を促した。
 県議会で問題化し3月には全国紙も一斉に報道。にもかかわらず県警の捜査は終始、身内への甘い対応が浮き彫りになり、形式的なものになった。地検が再捜査したが、結局 警察側は逮捕者を一人も出さず幕引きとなり、歴代本部長らが訓戒処分を受けたにとどまった。
 一連の報道を通じて、県警OBと現職警官の癒着の構造、キャリアと生え抜きの意識の差など、今日の警察の抱える問題が浮き彫りになった。
 選考委員会では「地域権力機構である警察の不正に粘り強く挑戦した、ジャーナリストとしての勇気と持続力は注目に値する」と評価された。

・関西テレビ放送報道スポーツ局番組制作部・迫川緑
番組「週末家族―ずっとそばにいて」

 親と離れて暮らさなければならない子どもは全国で3万人にのぼる。離婚、蒸発、虐待など、親の都合による理由がほとんどだ。そんな子どもを預かるのが児童養護施設。施設でのいろいろな試行錯誤で生まれたのが週末里親制度だ。親類などと面会もできない子どもたちに、せめて週末だけでも家庭のぬくもりを味わってもらおうというものだ。
 この番組は、そうした子どもたちと週末里親、そして実子とのかかわりを、大阪のふたつの施設を舞台に描き、親と子のありようを訴えた。
 選考委員会では「子どもたちの表情を画面で鮮明に表現した。どんな境遇でも子どもは平等に育てられるべきだというキャンペーンになる」と評価された。

昨年の研修

・京都放送報道局報道部部長・近藤晴夫
「アロハ!の出迎えはなかった」

 昨年(2000年)放送した司法特番「あなたが裁く」が坂田賞海外研修対象賞を受賞したのを機に、これから進むであろう日本の司法改革のお手本となるアメリカの司法制度を知るため、2001年11月18日から22日まで、京都弁護士会の山崎浩一弁護士に同行を願い、 常夏の国ハワイへ取材に出かけました。
 本来は、9月にアメリカのウイスコンシン州に行くことになっていたのですが、テロの影響でやむなく中止。改めて仕切り直しして今回、実現となったわけです。
 ハワイは日本人がもっとも多く訪れるところで、人気もあるのですが、こちらもテロの影響で、観光客はガ夕減り。一時は、昨年(9月)比で20%を切る最悪の状態でした。私たちが訪れた頃は半分にまで回復はしてきたそうですが、日本人は少なく、ワイキキの浜辺もまばら。「ハワイは安全!」と州をあげてアピールに努めていますが、回復にはまだ時間がかかりそうです。この余波で失業率も5.2%と深刻な状況で、観光に頼っているハワイは最大の危機に立っているのが現状です。
 (この模様は帰国翌日の23日の「ニュースきっちん」で放送)
 さて今回のハワイ取材のポイントは、日本でも裁判員制度が数年のうちに実施されることを踏まえて、陪審裁判の実情、特に陪審員制度はどのようにされるのか、二つ目は市民に対する法的サービスの提供がどのようにされているのかカメラにおさめ、12月2日の司法特番第4弾で放映することが目的です。
 ハワイの法曹資格者は約6000人、そのうち4000人が活動しています。内訳は約3000人が弁護士、裁判官は80人、検察官150人、公設弁護人100人、ほか政府関係者となっています。この中で驚いたのは裁判官の約半数が女性判事であることです。
 今回、取材に応じて頂いた裁判官もサブリナ・マッケナ判事で女性でした。自宅で取材ができたのですが、実にきさくな方で、日本語はぺらぺら。2児の母親で、子煩悩。親子でスポーツを愛し、子どもにテレビゲームをさせるのは週に1回だけ。しかし、日本のアニメビデオならいつ見てもよい。なぜなら 「日本語の勉強になるから」と少し教育ママ? ぶり。どこでも見られる家庭のひとこまを垣間見ることができました。
 ハワイの裁判官は日本のキャリアシステム(社会経験なくそのまま載判官になる)と違って、裁判官以外の法律家としての実務に従事したものから任命されるのが特徴です。いわゆる法曹一元化のシステムです。マッケナ判事もロースクール卒業後、法律事務所に5年間勤務、その後日本の企業の専属弁護士に。そしてハワイ大学の助教授を務め、93年から判事となった方です。
 社会の実務経験を通して活躍。「判事のやりがいはジャスティス。裁判所はアメリカでは一番ジャスティスの場所であり、市民に公平な裁判であったという印象を持ってもらうことが大切」と熱く語ってくれました。
 判事の協力で、巡回裁判所(日本の地方裁判所にあたる)の法廷を撮影することができました。裁判は小切手の偽造をめぐる刑事訴訟でちょうど陪審員の選定が行われていました。 裁判官が陪審員候補にあいさつし、事案の内容を紹介。都合の悪い人は名乗り出るように呼びかけます。何人かは都合の悪い人がいて理由を述べますが、裁判官はすんなりとは聞き入れません。「今回の拘束は短いが、次回はもっと長く拘束されますよ」と笑顔でハートにクギを刺します。このやりとりはなかなかお目にかかれるものではありません。こうして時間をかけて陪審員の選定を行うのです。
 次に訪れたのは、公設弁護人です。日本に該当する人はいませんが、やがて必要となるでしょう。彼らは弁護士事務所に属さず、貧しい人の弁護人として働いています。州からの補助金でまかなわれていて決して裕福ではありません。なぜそこまでするのかの問いかけに、 彼らは「金だけでなく、人のため、弱者のためにやること。奉仕の精神が生きがいなのです」 という答えが返ってきまし た。人情の厚いハワイ。まだまだ捨てたものじゃないというのが実感でした。
 さらに、こうした活動は、家庭内暴力やホームレスの手助けをするボランティアリーガルサービスや電話での相談に応じて適切なアドバイスをしているリーガルエードソサエティといった組織まで広がっており、法社会に根ざしたアメリカの懐の深さを知ることができました。
 ロースクールは実際に取材できなかったのですが、驚いたことがありました。それは課外授業で夜、裁判官と弁護士、それに学生が集まって講義をやっていたことです。日本でまず集まること自体考えられません。しかも裁判官が弁護士に裁判の進行や陪審員に与える印象などのアドバイスをしているのです。なぜ、こんなことができるのか。これはすぐに分かりました。先ほども記しましたが、裁判官は弁護士経験を積んだ人からなっていて、先輩としての適切な指導、後継者の育成に努めているのです。
 マスメディアではボブ・ジョーンズという方にお会いできました。彼は元新聞記者でテレビのニュース番組の解説、アンカーマンを務めるなど実績のある方で、今はハワイ大学の客員教授です。彼は12年前に法廷にテレビを入れることに尽力。当時の苦労話やメリット、デメリットについて話を伺うことができました。ただ、アメリカも日本と同じで、真面目な番組はあまり見ないそうですが、あのシンプソン事件の裁判によって、「一般市民は法律の知識が増え、司法が身近なものになった」ということで、これからの日本社会における司法とメディアが果たす役割について大いに参考になりました。
 ハワイ到着時、恒例の「アロハ」という出迎えの言葉はありませんでしたが、これからの日本に必要な言葉を見つけてきました。それは……市民のために生きる「ジャスティス」。 (ハワイ取材の模様は2001年12月2日「司法特番 21世紀の司法はこう変わる」 で放映しました)」

・産経新聞大阪本社社会部雪印とそごう取材班(代表=別府育郎・社会部次長)
「凶行は防げなかったか」米国からの報告
社会部・三笠博志

 米国に出張することになったのは、単純な疑問を解くためだった。平成13年6月に起きた池田小児童殺傷事件のような凶行を、ほかの国なら防げたのではないかということだ。 米中枢同時テロの余韻がやや小さくなった秋、サンフランシスコに飛んだ。
 あの事件の犯人、宅間守被告は過去に何度も事件を起こしながら、精神障害を理由に罪を問われない「触法精神障害者」として不起訴になり、「何をやっても許される」とうそぶくまでになった。事件直後の連載記事でそうした加害者に偏った法律や制度は、先進国では日本だけだと紹介したが、実際に海外の現状をルポする必要があった。
 取材先は、触法精神障害者を専門に処遇する司法精神病棟、検察、弁護士など多岐に及んだ。その内容は11月下旬に連載した。少なくとも米国なら、池田小事件の前の宅間被告のような、司法と医療のはざまに放置される存在はありえなかったことを伝えられたつもりだ。

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第8回坂田記念ジャーナリズム賞(2000年)

(敬称略)

海外研修補助

・産経新聞大阪本社雪印とそごう取材班
(代表=別府育郎・社会部次長)
連載報道「雪印とそごうブランドはなぜ墜ちたか」

 1万3420人という過去最多の食中毒被害者を出した雪印乳業と、総額1兆8700億円にものぼる負債を出して経営破綻したそごうを対象に、社会部、経済部を中心に取材班を編成し、ニュースを追いながら、2000年8月から「ブランドはなぜ墜ちたか」の連載を始めた。多数の関係者へのインタビュー、集中的で丹念な取材で「事件」の深層に迫った。両社の内部で何が起き、変質していったかを明らかにするとともに、経営陣の危機管理能力の欠如と社会的責任意識の低さを白日のもとにさらし、戦後日本の驚異的な経済成長を支えてきた企業の制度疲労やゆがみとして問題提起した。連載は単行本にもなった。

・京都放送報道部
(代表=近藤晴夫・報道部長)
陪審裁判制度特別報道番組「あなたが裁く!!」

 2000年11月4日午後7時から2時間の放送。司法制度改革の動きを敏感にとらえ、陪審裁判制度を分かりやすく報道した。実際にあった窃盗未遂事件を素材に、陪審裁判ドラマ部分と司法関係者ら識者による討論の2部で構成。日本に戦前、陪審裁判があったことからスタートして、京都地裁から移築して立命館大学構内に現物保存されている陪審法廷を使ってドラマを進行させた。番組のなかで平行して、視聴者からファクスや電子メールによる表決意見を求める市民参加形式を取り入れ、市民の関心と理解を深めた。

昨年の研修

・産経新聞大阪本社ひったくり取材班
(代表=木村正人・大阪府警記者クラブキャップ)
ドイツと日本の医療制度の差 社会部・堀洋記者

 産経新聞で「医療現場で今」という連載企画をしており、日本国内の医療制度や医療の質の問題点を洗い直す取材を担当していたが、この中で海外との比較をする必要にせまられ、ドイツに取材先を選んだ。ドイツには日本人医師の南和友という世界的にも有名な心臓移植医がおられたこと、さらにドイツと日本の医療保険制度が似ていたという点が選択した理由。取材のほとんどは南医師が勤務するバドユンハウゼン市のフルトライン・ウェストファーレン 州立心臓センターで行った。
 心臓センターは一見して日本の総合病院とは全く違った。まず、病院 特有の消毒液の臭いがせず、診療を長々と待つ患者もいないし、そもそも待合室もない。国家的には国立循環器病センター (大阪府吹田市)と似た位置づけだが、その機能や医師のレベルは全く違った。 心臓センターでは、心臓を止めて行う開心術と呼ばれる手術を毎日20例近く行う。当然、医師は毎日、トレーニングを積むため、手術時間は短かくなり、患者の負担は少なくなる。脳死からの心臓移植や心肺同時移植も1週間に2回程度は行われる。日本では心臓の手術は多くても週に1回程度。移植に至っては年に2回ぐらいだ。そのため、日本の外科医の手技は未熟で、ドイツで3時間で終わる手術に一日かけることもしばしばある。心臓センターでは実際に手術室に入れてもらい、心臓移植を見学させてもらったが、移植手術でさえ、4時間で終わった。
 もう一つ制度の点で日本と徹底的に違うのは細分化された専門医制度だ。ドイツでは医師国家試験が大きく言えば2回ある。大学卒業時に受ける試験と外科や内科、小児科など の専門医の認定試験だ。専門医認定試験にパスしないと保険診療はできないため、事実上、医師を仕事にできない。専門医認定試験を受けるには、その専門の病院で2年から3年間、トレーニングしなければならない。トレーニングを受けている医師に適性があるかは、専門病院で監督され、適性がないと判断されれば、早いケースでは半年間で病院を解雇されるという厳しさ。さらに専門医になっても、数年に一度は免許を更新しなければならない。大学卒業後、国家試験に通れば一生、医師として診療できる日本とは違う。
 こうした医療が実践されているドイツでは患者の表情は明るい。日本 の患者たちのように医師を本当に信用できるのかどうかビクビクしている現状とは全く違うといっていい。 ドイツの医療現場の現状の取材は、日本の現状を映す鏡としては極めて有意義だった。日本人は盲目的に日本の医療は世界レベルと信じている。しかし、医学研究はともかく、日常的に行われる診療や治療に関しては天と地ほどの差があることが実感できたのは貴重な体験だった。

・毎日放送 猶原祥光記者(アンコールこども病院取材班代表)
 30年にわたって内戦が続いたカンボジアには今も600万個の地雷が眠り、これまでにこどもたちを含む4万人以上が死傷している。
 毎日放送では、この惨状を目にして小児病院建設に立ち上がった大阪出身の写真家・井津建郎さんとともに1997年から現地同行取材を継続して行なっている。これまでの放送実績は、「筑紫哲也NEWS23」などのニュース番組で現地からの衛星生放送を含む15回、ラジオでの放送2回にのぼり99年3月には、1時間の報道特別番組も放送した。
 また、今年4月には、日本を代表するトランペッター・日野皓正氏が病院を訪れ、治療に訪れた子どもたちのためにボランティアで生演奏をする模様を紹介した。病院は間もなく開院から丸3年を迎えるが、1日平均100人もの患者を抱えながらも教育施設などの拡張に努めている。毎日放送では今後もこうした病院の成長を記録していく予定である。

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