第13回坂田記念ジャーナリズム賞(2005年)

(敬称略)

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

海外研修補助

・日本経済新聞大阪本社連載企画「アジアと関西」取材班
(代表=丸山兼也・大阪経済部次長)

 経済発展のパートナーとして交流を深めるアジアと関西アジア各地で奮闘する関西の企業、ビジネスマンらの活躍を読者に報告したいとの動機で半年間の連載がスタート。第1部「アジア10都市1000人調査」で、アジアの人々が関西に抱く関心の高さが東京に匹敵することを明らかにし、第2部では関西で活躍するアジアの人々をルポ。第3部では再び各地を取材し「衣」「食」「マネー」の分野別に躍動する関西企業を追い、最後はアジアに拠点を持つ関西企業にアンケート調査を実施。「中小企業がアジアで事業を拡大できるかどうかが今後の成長のカギ」といった課題をも浮き彫りにした。
 選考委員会では「関西企業、ビジネスマンらの活躍が生き生きと描かれていて興味深く読める。また、調査を通じてアジアの人々の関西への関心、関西企業のアジア戦略の次の一手など経済専門紙の特色を生かした取材活動が注目された」「日ごろ知っているようであまり知られていない関西の企業やビジネスマンたちの活躍や、アジアと関西の深いかかわりを改めて知ることができた。しかも具体的な事例を豊富に盛り込んで、読ませる工夫がある点 も読者に親しまれる記事としてすぐれた報道である」などと高く評価された。

・朝日放送ドキュメンタリー・スペシャル「終わりなき葬列 発症まで30年、いま広がるアスベスト被害」制作班
(代表=宮沢洋一・報道局ニュースセンターディレクター)

 アスベスト(石綿)による健康被害を社会問題化させるきっかけとなった番組。この放送が引き金となってクボタが記者会見を開き、社員被害の実態と工場周辺住民被害を公表した。 その後、各企業が被害を公表、国が対策を迫られることになった。番組では、アスベスト製造工場の従業員のみならず、工場周辺住民たちも特有のがんで死亡していることをいち早く描き、企業はもちろん、行政、医療など様々な機関が動いて、患者救済と今後の被害拡大 を防ぐよう訴えた。
 選考委員会では「アスベスト健康被害を医学的にもきっちり説明し、アスベストを扱う仕事に従事していた人だけでなく、工場周辺に住み知らず知らずのうちにアスベストを体内に吸い込んだ人たちの被害を取り上げることができた取材力を買う。21世紀に明るみに出た新しい公害を映像化できたのは非常に価値がある」「アスベストによる健康被害の重大性をいち早く目に見える形で訴えた点で、その後の報道合戦のきっかけとなった。今後、追跡調査、患者救済などについて番組の続編を期待したい」などと評価された。

・読売テレビ放送報道局ディレクター・十河美加
NNNドキュメント’05「赤ちゃんと語ろ~笑わない天使たちのSOS」

 児童虐待、育児放棄、育児不安を抱える親たちが増えているなか、この番組は人生の原点である親子関係の構築を赤ちゃんとの「対話」から探る助産師を追ったドキュメンタリーである。赤ちゃんは実は大人の表情や環境を敏感に感じ取り全身で強いメッセージを発している。そのメッセージを受け止め、受け入れることで、親子の絆が深まる。番組はこうした現実に焦点を当て、幼い命の賢さ、強さを伝えると同時に、密室での生活、情報の氾濫など悪しき育児環境や、親子をサポートすべき保健行政の空白を指摘。赤ちゃんの素晴らしさを大人が学び認識することが打開策の一つであることを訴えた。
 選考委員会では「高度経済成長の中で核家族化が一挙に進み、子どもを産み、育てるノウハウが崩壊した。その結果がこの番組に表されている。大家族だった昔の育児に代わる方法を考える時が来ている。育て方の伝授、子ども同士の交流、両親での集まりなど、番組が取り上げたような試みを全国に広げていくことが必要だ」「本番組は少子化問題の断面を見事に描き出し、その打開の道を指し示すユニークで優れた番組である。助産師のひと言ひと言が若いお母さん方を励まし、赤ちゃんのすごい生命力や人間の可能性に気づかせてくれる」などと評価された。

昨年の研修

・読売テレビ放送エグゼクティブ・プロデューサー・中川禎昭
「紅紅(ホンホン)の旅立ち~中国・黄土高原に生きる~」
「戦後の戦争」~占守島を訪ねて~・中川禎昭

 占守島(シュムシュ)は、ロシア・カムチャツカ半島のロバトカ岬から海峡を挟んで13キロ南に位置する。南北30キロ、最大幅20キロの、千島列島最北端にある平坦な島。北海の豪商・高田屋嘉兵衛が19世紀の初めに入港したというペトロパブロフスク・カムチャッキー市から、眼下に野生の熊の群れを見たあと、海峡を越え、2時間余りでヘリは占守島の松の上に着陸した。9月というのに、気温は5度。天候は霧で目まぐるしく変化する。
 占守島で国土防衛にあたっていた日本軍には、あの「玉音放送」が届かず、終戦を知ったのは8月16日で、翌17日からは武装解除の準備に入っていた。そして18日未明、およそ7000人のソ連軍が、この島に侵攻する。これに続いた北千島戦では、日本軍350人、ソ連軍2000人余りの犠牲者が出たという。
 占守島にはほとんど立木といったものがなく、雑草の中に旧日本軍の戦車や砲台10数台が60年間野晒しとなっており、ソ連軍が上陸してきた竹田浜では、静かに波が打ち寄せていた。
 現在、この島にはロシアの国境警備隊員数人が駐在しているほかは、灯台守のロシア人老夫妻が暮らしているだけであるが、かつては250家族ほどの日本人が住んでいたということで、缶詰工場の最盛期には1万人もの日本人が 往来したという。そして、1990年頃まで2人の日本人が生活していたとの記録も残されている。
 ベトロパブロフスクカムチヤッキー市に引き返し、クリル(千島)列島解放モニュメントのある広場に向かった。記念碑には「我々は日本の侵略のために戦い、自国の領土を取り返した」と記されており、400人ほどの戦死者の名が刻み込まれていた。
 街で知り合った元ソ連軍兵士で、占守島で日本軍と戦ったという老人と親しくなり、彼のダーチャ (家庭菜園のある郊外の家)に招かれた。彼のダーチャは市内から50キロほどの、 白樺と黄色く染まり始めた潅木の林の奥にあった。
 「あなたたちが占守島に攻めてきたとき、日本はすでに降伏していた」と話しかけると、彼は「当時、私のような若い兵士にはそんなことは知らされていなかった。日本軍がカムチャツカ半島に上陸してくると聞かされていた」との答えが返ってきた。
 名物のニシンの塩漬けと菜園でとり立ての野菜をご馳走になったあと、市内に戻る車中からは、その日も占守島からシベリアに抑留された旧日本兵が、カムチャツカ富士と呼んで故郷を偲んだ、アパチャ山の美しい稜線が望まれた。

・朝日放送報道局記者・藤井容子
ドキュメンタリー・スペシャル「僕って?~教育の新たな課題、軽度発達障害~」
また、再びの大陸~2005年夏、中国・北京へ~・藤井容子

 記者になって7年。オフで海外に行くことなどありませんでした。この貴重な機会に、母とともに中国へ。私にとっては初めての中国でした。もう70歳近い母はといえば、かつて中国で暮らしたことがありました。故宮や天安門 広場といった観光名所めぐりが主でしたが、中でも一番印象的だったのは万里の長城でした。北京の北西70キロにあり、多くの観光客が日帰りで訪れる八達嶺という登城口から登りました。
 歴史資料などを調べてみると、万里の長城は、すでに紀元前7世紀頃から建設が始まり、巨大な姿になったのは、紀元前221年に中国を統一した秦の始皇帝の時代。とくに、その建設に力が入れられたのは明の時代(1368年~1644年)。つまり、他民族(モンゴル族)による支配を受けた後でした。私たちが訪れた八達嶺の長城は明の時代のものです。万里の長城が、他民族の侵入を防ぐという目的ではないにせよ、最後に使われたのは抗日戦争のときだそうです。万里の長城の歴史は、中国の歴史そのもの。高さ8メートル、レンガの地面を 踏みしめて重厚な何かを感じるのは、当然かも知れません。
 一緒に旅した母は、どのように感じていたことでしょう。母は、7~8歳くらいのころ中国で暮らしていたのでした。母の父親が満州鉄道の幹部だったため、家族で満州に居住。母たちも含めて、当時中国に赴任した日本人は裕福そのものだったといいます。しかし、戦況が変化すると身の危険もあったようで、父親が死亡した後、母たち家族は父親の部下の尽力があったからこそ、日本に引き揚げることができたのだと聞きました。
 そんな母は常々、「もう一度、中国に行きたい」と話していたのでした。およそ60年を経て、まさに、その大陸に、再び渡ったわけで、時折、感慨深い表情を見せていました。もしも、時代に翻弄された人生を見つめ直せたのなら、少しばかり 親孝行できたのではと感じています。

第13回坂田賞授賞理由

第1部門(スクープ・企画報道)

新聞の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★読売新聞大阪本社長期連載企画「技あり関西」取材班
 代表=吉島一彦・調査研究室長兼編集委員

推薦理由

 関西は技術の宝庫といわれ、全国、世界に誇る技術は数多い。こうした幅広い分野のモノづくりを関西の企業や人が生み出した「技」が支えている。日本経済が低迷を続けていた中で、関西の技術者たちのチャレンジ精神は健在だった。2003年4月から2005年12月まで127回を数えた長期連載企画を通じて、記者たちは夫婦だけの企業から大企業まで、独創的な技術を持つオンリーワン企業などの様々な技術者たちを徹底取材。歯を食いしばり汗水を流して研究開発に取り組む技術者たちから発想のきっかけ、その苦労や喜び、抱負を聞き 出し、関西に自信を持て、元気を出せと呼びかけた。

授賞理由

 選考委員会では「マスメディアの社会的使命がオーディエンス(読者・視聴者)に明るい未来への展望を拓き、現在の社会状況のより適切な判断への基礎資料の提供であると考えると、この連載は①社会的価値のプラス面を根底から考える特ダネ性と②企画記事の両方の要素をあわせもった優れた読み物である。関西の底力を掘り起こし、具体的な活動情報を紙面で伝えたことで、新しいかたちの国興しといえる」「モノづくりにおける頭脳の使い方の実例を示したものとして貴重な資料になった」「地盤沈下が続く関西を勇気づける企画だった」などと評価された。

放送の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★関西テレビ放送ドキュメンタリー「くらやみにまけないで―虐待の記憶との闘い」制作班
 代表=塩川恵造・報道局ディレクター

推薦理由

 3日に1人の子どもが虐待死している日本。加害者が親・親族であり、警察は立件の壁、児童相談所も親権の壁に立ち尽くし、児童虐待の根絶は困難を極めている。制作班はニュー ス報道で出会った家族と信頼関係を構築する中で実名報道を受容した母親と子どもたちの懸命の営みを映像化させた。男児3人を子育て中の母親は母親たちから虐待を受けたトラウマに悩みながらも、世代間連鎖を絶つため更生に向かう決意を固め、同じ悩みを持つ母子たちと交流を始める。母親と子どもたちの素顔を克明に描き、その内面に肉薄することで、児童虐待問題の重大性を強く訴えた。

授賞理由

 選考委員会では「児童虐待の一面をこれほどあからさまに番組化した作品は珍しい。撮影する側と写される側との信頼を築くためどれだけの時間と努力を要しただろうか。児童虐待の深刻な実態と家庭崩壊に対して問題を投げかけた秀作といえる」「この番組のすごさは①児童虐待の実際をぼかしを入れないで放映している、つまり取材者が被取材者とそれだけの信頼関係を構築していること②虐待の連鎖が起きる構造を見事に描いているところにある。番組は同種の被害を防止するための社会活動までを展望し具体的に紹介している」などと評価された。

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

新聞の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★産経新聞大阪本社社会部記者・皆川豪志
 連載企画「幸せってなに?~プータン紀行」

推薦理由

 世界的にも紹介されることの少ないヒマラヤの秘境・ブータン王国をルポし、GNP (国民総生産)ならぬGNH (国民総幸福量)というブータン独特の考え方を日本のマスコミで初めて本格的に取り上げ、日本人が経済的発展の中で見失ってきたものを丁寧に描いた。記者は約2週間にわたり現地の民家などに滞在し村人などに取材。「幸せ」という個人的であいまいな概念を様々な角度から探り、GNHという聞きなれない言葉の意味を浮き彫りにしていった。「幸せとは何か」を突き詰めた記事の影響は大きく、連載以降GNHという概念は日本のマスコミでも度々取り上げられるようになった。

授賞理由

 選考委員会では「①情報と物質のあふれた現在の日本に何が足りないかを指摘し②社会貢献報道としての意義をあわせもつ優れた連載記事。幸せ感をキーワードとしてGNHという概念から日本を照射しており、秀逸である」「現在の日本とは対極にあるプータンの取材を通して、人間にとって幸せとは何なのかを考えさせる内容になっており、一人ひとりの国民の考えを変える指針になる連載である」などと評価された。

放送の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★毎日放送報道局番組センター主事・岡山美彦
 「映像’05祖国よ~中国残留孤児の戦後」

推薦理由

 敗戦直後、旧満州(中国東北部)に数多くの中国残留日本人孤児が置き去りにされた。孤児たちの帰国は終戦から40年もたった1980年代にようやく本格化したが、その後 孤児たちが経済的に困窮した生活を送っていることや、日本政府を相手に裁判を起こしていることはあまり知られていない。毎日放送は20年前、孤児たちの訪日調査に同行取材したが、岡山記者はその後も孤児たちの人生をたどり、2005年「置き去りの60年」と「祖国よ」の2本のドキュメンタリーを制作した。番組では孤児たちの悲惨な状況を克明に描くことで、日本政府の無策を告発している。

授賞理由

 選考委員会では「この番組で、残留孤児に対する棄民に等しい扱いがよく分かり、怒りを新たにした。アジアと深く関わっていかねばならない日本は、この状態を解決しない限り、諸国の信頼は得られないだろう」「戦争はとりわけ庶民に大きな犠牲を強いるが、その典型的なものが残留孤児である。日本社会の事なかれ主義と民族的健忘症がその背後にある。 孤児の来日、日本での挫折、中国の養父母との絆を丹念に追うことで、現在の日本と日本人の原罪がきちんとした形として描かれたことには歴史的意義がある」「国際交流とは何かを考えさせる優れたドキュメンタリー」などと評価された。

坂田賞一覧