第22回坂田記念ジャーナリズム賞(2014年)

(敬称略)

第1部門(スクープ・企画報道)

第22回坂田賞授賞理由

第1部門(スクープ・企画報道)

新聞の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★毎日新聞大阪本社専門編集委員・広岩近広(ひろいわ・ちかひろ)
 企画報道「平和をたずねて」

推薦理由

 これまで「沖縄戦の少年通信士」など毎日新聞大阪本社発行の朝刊に7年間にわたり237回の連載を続け、今も継続中だ。庶民の記録を丹念に取材、また歴史書や資料などを織り交ぜ、戦争や原爆被害などの実相に迫り、社会的背景を浮き彫りにした。
 例えば「満州非情 医師の見た記録」では、満州国の医科大に進学した医師が遭遇したソ連軍の侵攻と開拓移民団の悲劇を通じ、満州国の実情を描いた。また「兵隊無情 死線を超えて」では海軍の整備兵が遭遇した「トラック島の餓死」から戦場の不条理と軍隊の本質を問い、「韓国併合 教師ゆえに」では日本の植民地下の朝鮮半島で生まれ、国民学校の教師となった女性の体験から皇民化教育の背景を描いた。いずれの連載にも戦後70年を迎える本年を意識しながら連載を継続している。

授賞理由

 戦後70年、いまや戦争体験者は高齢に達し、その直接表現を聞くことが難しくなっている。そのことが現在の安易で軽薄な戦争観をはびこらせる一因になっている。
 記者は沖縄戦に駆り出された少年通信士、被爆孤児となった女性の歳月、医師が体験した満州国崩壊の日々など体験者の迫真の証言を引き出している。証言者の特徴は、名もない一般の人々であり、彼らこそもっとも戦争の辛酸をなめた被害者であることを伝えている。一人で長期連載を続けていること、そこに問題意識が明瞭に見え、また当時の時代への寸評もあって読みやすい。記事の力点は戦時中の体験を記すことに置かれているが、慾を言えば、痛切な体験を踏まえて彼らが戦後をどう生きたのか、に紙面がより多く割かれた方がとも思える。

【坂田記念ジャーナリズム賞特別賞(2件)】
★朝日新聞大阪本社社会部藤森かもめ記者ら「原発利権を追う」取材班
 代表=久我誠・社会部次長
 原発利権を追う「『関電の裏面史』独白」を巡る一連の報道」

推薦理由

 朝日新聞の連載企画「原発利権を追う」の第7シリーズとして掲載した関西電力元副社長の内藤千百里氏(91)の独占インタビュー。関電の最高実力者だった芦原義重氏(2003年死去)に長年秘書として仕えた内藤氏は1990年代まで25年間政治担当を務め、中央政官界と関電の太いパイプを築いてきた。しかしその業務については公の場で一切語ることがないまま1999年以降は表舞台から姿を消し、電力業界では「伝説の人」になっていた。取材班の一員で関電取材を担当した藤森かもめ記者は粘り強く内藤氏を説得、計81時間に及ぶインタビューに成功、実名掲載の許可も取り付けた。内藤氏は1972年から18年間、歴代首相7人に年2000万円ずつ献金してきた事実などを赤裸々に証言し、電力業界と政官界との長年にわたる癒着ぶりを裏付ける前例のないオーラルヒストリーになり、取材班は証言の裏付け取材も同時に並行、掲載に踏み切り計14回の連載に結実した。インタビューの動画は「朝日新聞デジタル」で公開、高い関心を呼び、連載をまとめ本も出版した。

授賞理由

 ジャーナリズムの仕事は多岐に及ぶが、スクープ性ある報道は“華”である。加えてその内容が、現在の社会的な課題と密接にかかわっている場合、スクープはより評価の高いものになる。
 関西財界の「政治部長」と言われた内藤千百里・元関電副社長は積年、関電が歴代首相らへ巨額の政治献金を行った事実を告白した。高齢となり、“この世への遺言”ということもあったのか。記者は何度も長時間インタビューを行い、迫真の証言記録を掘り起こした。裏付け取材もきちんとしている。この証言で原発と政治にかかわる歴史的な闇の一端を浮かび上がらせた。これは調査報道の成果であるとともに戦後史の貴重な資料というべきだろう。新聞の力を再認識させる報道だ。

★京都新聞編集局「米軍Xバンドレーダー」取材班
 代表=岡本晃明(てるあき)・報道部長代理
 連載「揺らぐ平和と記憶 米軍Xバンド基地から」を含む一連の報道

推薦理由

 近畿地方で唯一の米軍経ケ岬通信所が京都府京丹後町に完成した。日米共同の弾道ミサイル防衛システムで「目」となる施設だ。国内法が及ばない日米地位協定上の「米軍専用施設」であり、防衛機密のベールに覆われた基地の実態を伝え、設置の過程を後世に伝えることがこの連載の狙いだ。
 この連載の成果は「1.米軍基地の課題を浮き彫りにした」「2.隠された事実を明らかにした」「3.市民にニュースを伝え続けた」の3点。「米軍に停波直接要請」などの特ダネを織り込みながら、「防衛」を理由に情報公開に消極的な米軍、防衛省の姿勢を問う報道になった。米軍基地建設は沈滞する地域の活性化策とセットになっている。地元紙として基地を受け入れざるを得ない地域の実情と住民の不安に寄り添う報道を目指し、「安全保障」は生活と地続きであることも伝えた。

授賞理由

 京都府の日本海側にはリアス式海岸線が続くが、舞鶴には海上保安庁と自衛隊基地があり、それが産業基盤の弱い地域経済を支えている面がある。その舞鶴からさらに半島を北へ上がった経ケ岬に近畿地方で唯一のミサイルを補足する米軍基地があり、最近その機能が日本政府の協力で格段に強化され、新しい設備が機能し始めた。
 京都新聞のこの連載記事はあまり人が行くことない米軍レーダー基地の詳細と問題点を取材し、描き出した優れた企画報道である。
 現地に行くとよく理解できるが、米軍と自衛隊施設に通じる道路のみが格段に良く舗装され、学校など公共施設も立派だ。このことから米軍基地と原子力発電所の地元との関係が類似していることも読者に考えさせる報道でもあった。

放送の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★毎日放送報道局番組センター 映像’14「伝える」シリーズ取材班
 代表=大牟田聡・番組センター長
 「映像’14 知られざる最前線~神戸が担ってきた日米同盟」など映像’14「伝える」シリーズ

推薦理由

 戦後70年を目前にした2014年7月、「なぜ私は語り続けるのか~94歳・ある日本兵の戦場」で、沖縄戦で多くの戦友を失った元日本兵が中国での加害行為を語り続ける思いに迫り、8月の「被爆を語るということ~ヒロシマ69年目の記憶」では「ほんとうに証言は伝わっているのか」との思いにとらわれる86歳の被爆女性を追い、体験の継承とは何かを考察した。9月の「知られざる最前線」では朝鮮戦争で重要な拠点になった神戸を軸に、朝鮮戦争に駆り出された民間人や掃海活動で死んだ男性の遺族らから貴重な証言を得て、伝えた。
 閣議決定による憲法解釈の変更や特定秘密保護法の施行など岐路に立つ私たちにとり、過去の歴史をいま一度確かめることはきわめて重要で戦中・戦後の貴重な証言を映像化できたことは大きな意義がある。

授賞理由

 「知られざる最前線」は朝鮮戦争時、神戸港が米海兵隊の出撃港になった姿を伝えながら海上輸送や掃海作業に従事する民間人も集められ、密かに戦地に向かった姿を暴いている。犠牲者も出たが占領下のこと、闇に消えていたが、高齢となった体験者たちが仁川逆上陸の模様や掃海作業中に事故死した弟の思い出を語る。当番組はで沈黙を破る貴重な証言を発掘したもので他の作品を含め、日本を取り巻く安全保障環境が大きく変化する中で過去と現在をつなげる示唆深い番組シリーズになっている。

【坂田記念ジャーナリズム賞特別賞(2件)】
★関西テレビ放送「声なき声によりそって」取材班
 代表=豊島学恵(がくえ)・報道番組部ディレクター
 ザ・ドキュメント「声なき声によりそって~地域福祉の現場から~」

推薦理由

 この番組は大阪府豊中市社会福祉協議会でコミュニティソーシャルワーカー(CSW)として働く勝部麗子さんの活動を追ったドキュメンタリー。CSWは既存の福祉施策では対応が難しい問題の解決に取り組む新しいタイプの福祉専門職で勝部さんは草分けの一人。
 彼女のもとにはゴミ屋敷、生活困窮者の生活支援など毎日、様々な相談が持ち込まれる。「あの“困った人”を何とかして」という相談が多いが、彼女は「困った人」は「困っている人」と受け止めて支援を始める。「困った人」の多くは専門化が進んだ既存の社会福祉施策では救済できない人たちであり、新しい社会問題の芽を表す存在と言っていい。古い地域社会が消えていく中、地域社会の現状、新たな地域福祉の実践と解決法を伝える番組だ。

授賞理由

 CSWとは耳新しい言葉であるが、女性ワーカーの日々を追う中で今現在の福祉行政の最前線の一端を伝えている。障害を持つ酒びたりの中年男性、引きこもり青年たち、ゴミ屋敷に住む人・・困った人はまた困っている人々である。彼らと出会ったCSWは就業支援や生きがい探しに手を貸していく。
 この女性は明瞭でタフだが、時に落ち込み、涙する。期待を裏切られ、じっと沈思する表情を捉えたワンシーンは印象的だ。一人の女性ワーカーの人間としての姿を描くことによって番組に濃い作品性を付与している。

★三重テレビ放送「さとがえり」取材班
 代表=小川秀幸・報道制作局長代理
 ハンセン病回復者帰郷事業に関する取材活動

推薦理由

 三重テレビは2001年からハンセン病への偏見、差別をなくそうと取り組みを始め、その総仕上げと位置付けたのが今回の作品だ。ハンセン病療養所の入所者が故郷の土を踏む貴重な機会が各都道府県など主催の「里帰り事業」。年に1回、療養所単位で出身都道府県に帰る事業だ。しかし里帰り、といっても本当の故郷に帰るケースはごくわずかで三重県の場合は観光地がほとんどだ。なぜそうなのか、その現実を見据えつつ、あらゆる差別と偏見の解消を訴えることに力を入れた。番組には過去、ハンセン病に関わった人で取材後、亡くなった人たちも多数、登場するが、その人たちの思いも伝えたかったからだ。

授賞理由

 標準化による差別と排除、そして人権侵害。日本近代の影の部分を浮き彫りにする好材料としてハンセン病を題材にしたドキュメンタリーは多い。ただ経営基盤の弱い県域UHF局が継続してこの問題を取り上げている意義は大きい。特に戦前における皇国の聖地、伊勢神宮の地元とハンセン病を結びつけた以前の番組も評価してきたが、この間のキャンペーンの総集成として40年の記録をまとめたのは貴重だ。さらにハンセン病差別のもっとも大きな問題である家族と故郷からの排除の問題を元患者たちの時間の流れの中に描いたのは告発を超えて、時代の記録としての価値も大きい。

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

新聞の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★朝日新聞大阪本社「核といのちを考える」取材班
 代表=副島英樹・核と人類取材センター事務局長
 国際的企画「核といのちを考える」をめぐる一連の報道

推薦理由

 冷戦終了後も核兵器廃絶は進まず、2011年には福島第一原発で大事故が起きた。「核と人類は共存できるか」。新たな角度から被爆地・広島、長崎に光を当て、世界的潮流になりつつある「核の非人道性」に向き合う企画として2013年6月から国際的キャンペーン「核といのちを考える」を開始した。
 2014年はまずマーシャル群島ビキニ環礁での「ビキニ事件」(1954年3月)をテーマに核汚染で今も島民が戻れない実情に迫ったルポなど。また4月には広島での核軍縮・不拡散イニシアチブを多角的に報じ、6月からは連載インタビュー「被爆国から2014」で各界の著名人と考えた。7、8月は高齢者の被爆体験を取材、さらに特設紙面などで吉永小百合さんらへのインタビューを実現するなど息長く報道した。
 一連の取材の一部は朝日英文サイト「A JW」で英語でも発信、内外から多くの反響があった。

授賞理由

 核廃絶はこれまで幾たびか、取りあげられてきたテーマであるが、ビキニ環礁など広範囲の取材を行い、今日的課題を探っている点、大いに読み応えがあった。
 水爆実験が行われたビキニ環礁では今も深い傷跡を残している。現地人の肉声は核の罪深さをあらためて教えてくれた。ビキニ被爆については記憶の風化が進み、とりわけ若い層には知られていないようであるが、図解や解説を交えて経過が説明され、理解が進む工夫がなされている。また広島・長崎への原爆投下の直後、ソ連の情報部委員がいち早く現地入りして報告をまとめていたとのこと、初めて知る事実もあり、また多くは90歳台に入った被爆者たちの声は切実だ。全体に現在の課題を国際的にも再認識できる好企画だ。

放送の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★NHK「Brakeless 福知山線脱線事故9年」取材班
 代表=山根泰延(やすのぶ)・神戸放送局放送部副部長
 国際共同制作番組「Brakeless~福知山線脱線事故9年~」

推薦理由

 死者107人、負傷者562人を出した福知山線脱線事故(2005年4月)は事故調査委員会の事故原因究明で運転士のスピード超過の背景にATSの整備遅れ▽余裕のないダイヤ▽懲罰的な日勤教育などJR西日本の安全軽視を指摘したが、いままで法的な懲罰は受けていない。
 英BBCのプロデューサーがこのことに関心を持った。イギリスでもフェリーなど公共輸送機関の大規模死亡事故が相次ぎ、誰にも責任を問えなかった歴史を背景に先進国が共通して持つ「速さ・効率性」を追求する社会に問いかけをするところから国際共同制作が始まった。BBCとNHKが国際的に普遍的な視座から事故を見つめ、事故の意味を問い直した。番組はBBC4のドキュメンタリー枠で放送された。その後、デンマーク、オランダ、アメリカなどでも放送され、NHKではこの番組を再編集して総合とBS1で流した。地域発国際共同番組として地方局の番組制作に新たな可能性を切り開いた意義は大きい。

授賞理由

 JR福知山線脱線事故を取り上げ、その根底にあったのは効率第一主義という日本病であるという視点から日本、あるいは高度資本主義の病理が指摘されている。こうした事故を抑止するためには社会として組織罰を問うことができる法律改正を行うことである。イギリスではすでに組織の罪を問うことができる法律ができていて、そうした制度的改善が必要かつ可能であることをこの番組では示唆している。
 また効率という点では日本の時間厳守の価値に様々な角度から切り込み、文化論としても興味深い。さらに事故発生から長期間の取材と資料、また回顧の手法も目新しく、10年を経て新しい視点から見ることができた。そうした視点もBBCとの共同制作が生きたのだ、と思われる。
 ただ、組織罰の導入という観点はもっと番組で強調すべきだった。

第3回東日本大震災復興支援坂田記念ジャーナリズム賞

新聞の部

★岩手日報社「忘れない」取材班
 代表=菅原智広・編集局次長兼報道部長
 長期連載「東日本大震災犠牲者追跡報道」

推薦理由

 東日本大震災では津波などで岩手県内の死者・行方不明者が6246人(関連死を含む)に上った。本連載は、生前の人となりを紙面に残すことが風化を食い止めるとの思いから震災1周年を迎えた2012年3月11日付けから始め、14年8月13日付けまで計23回80ページになり、3384人の生きた証しを紹介できた。
 「必ず遺族に会い、趣旨を説明、了解を得ること」を大原則に報道部、支局員を総動員してスタートした。しかし、津波で家を失ったり、仮設住宅や県外に移り住んだ人たちも少なくなく、知人、親戚縁者などあらゆる人間関係をたどり、北は北海道から南は沖縄まで及んでいる。顔写真取材は事件、事故、災害など新聞社の取材の基本中の基本だが、3000人を超える顔写真と人柄を掲載した本連載は究極の実名報道と言える。その後、多くの新聞が各種災害で同様の企画を始めていることも付記したい。

授賞理由

 岩手日報は震災から1年経った日から「忘れない」キャンペーンを続けてきた。地元紙しかできない気持ちのこもった紙面展開だ。このキャンペーンは記者を総動員、全国各地、あらゆるルートを手繰り、記者が遺族を直接取材したという。大槌町のページで「会社員、佐野正文さんの(63)」の顔写真と記事が載っている。釜石ラグビーの全盛期を担った往時の雄姿を思い浮かべた。同様に県民にとってはきっと関わりのある人々が大勢おられ、切実で感慨深い連載であったろう。また連載に添えられた作家の伊集院静氏らの寄稿文もずしりと心に響いた。
 大労作に敬意を表したい。

★大槌新聞
 代表=菊池由貴子・大槌メディアセンター代表理事
 地域紙「大槌新聞」の創刊と継続

推薦理由

 大槌新聞は被災地ゆえに生まれたメディアだ。全国紙や県紙はカバー範囲が広く、町民目線での情報は流せない。特に復興事業は市町村主体で行われるため、市町村単位の情報発信が効果的だが、行政は苦手だ。被災地住民はまちづくりや生活再建情報を求めているが、複雑かつ大量で行政はその伝達に不親切だ。復興の一番の足かせは住民と行政の意思疎通不足だ。また国、県と町との認識共有も不十分だ。こうしたギャップを埋めるべく、簡潔な文体で字も大きくし、「ですます」調の文章で親しみ深いメディアにして、独自取材や他地域の情報も加え、町民にまちづくりを考える資料を提供し続け、町内全5100世帯に無料配布も実現した。
 今後はラジオ、ネット、町広報とも連携した「大槌メディアセンター」を設立、情報を核に「新しい公共」構築に新展開していく方針だ。

授賞理由

 東日本大震災は地震、津波、原発事故の複合災害だが、被災地は広大かつ津波は巨大、それに福島を中心に放射線被害が混合したところに特徴がある。とりわけ三陸の沿岸部は都会から離れ、情報的に孤立したところがいくつもでき。岩手県大槌町はその一つ。
 大槌町では被災直後も何が起きているか、外部には数日間、報道されず、復興過程に入っても報道が遅れた。このため自ら津波に巻き込まれながらもやっと高台に逃げた現地の女性が「町民による町民のための週刊新聞」を立ち上げ、町役場の協力や復興資金援助で全戸配布するようになった。被災地ローカルに必要な情報は何なのかを問いかけるもので新聞の原点として貴重な試みであり、メディア関係者も注目している。
 但し、選考過程で紙面が行政情報に頼りすぎで一見、広報誌に見え、ジャーナリズムとしての視点を強化すべきとの指摘も出された。

放送の部

★NHK仙台、盛岡、福島放送局取材・制作チーム
 代表=矢島敦視(あつし)・仙台放送局チーフプロデユーサー
 「NHKスペシャル」(計13本)による被災地からの全国発信

推薦理由

 東日本大震災から4年。宮城・岩手の被災地では土地のかさ上げや集団移転事業など復興に向けての動きが本格化している半面、10万人近い人が仮設暮らしを強いられ、地域経済の崩壊で生活の困窮や心の問題も深刻化。一方、福島では故郷帰還の目途が立たないまま、先の見えない避難生活者が12万人に達する。しかしこうした現状が全国に放送される機会は目に見えて減り、震災の風化は急速に進行している。
 そうしたなか、NHK仙台、盛岡、福島各放送局では月1回のペースで金曜日夜、「NHKスペシャル」で被災地の姿を全国に発信してきた。被災地で生きる人たちの喜怒哀楽、生活再建を阻む問題、震災の教訓や記憶を語り継ぎ、今後の大災害への提言など多岐にわたり、2014年には13本、初志を忘れないという思いを込めて制作してきた。

授賞理由

 今回は「NHKスペシャル」のうち、「復興 正念場の夏~“建設バブル”と被災地~」を見た。5カ年で復興住宅を作るという政府の約束があったが、2020年五輪の東京開催で人手と資材が東京やその周辺に流れ込み、被災地には人手が回らない。賑わう東京と疲弊する地方、その構図が被災地にも持ち込まれている実態を伝えている。番組の半ばで、復興住宅を担当する建設会社の若い現場責任者が、自身、被災者であることが明らかにされる。全体の構図と現場の生の姿がかみ合って、被災地の今を伝える秀作だ。こうした被災地情報を全国民に向けて発信する「NHKスペシャル」の姿勢も高く評価できる。東日本大震災復興支援を目的とする坂田記念ジャーナリズム賞にふさわしい。

★ラジオ福島放射線関連番組取材班
 代表=深野健司・放送制作センター副部長
 「玄侑宗久(げんゆう・そうきゅう)・丹羽太貫(にわ・おおつら)放射線を語る」など一連の番組

推薦理由

 福島は住み続けて良い場所なのか?それとも住めない場所なのか?
 福島県民が絶えず心の奥底に抱える放射線への不安について芥川賞作家の玄侑宗久さん、そして放射線生物学者の丹羽太貫さんがそれぞれの立場を超えて放射線問題に真正面から語り尽くした番組だ。
 「科学的に分からないことが多い」「専門家でも意見が分かれている」など事故から3年経っても解決の糸口が見つからない低線量被爆に関して、事故後、福島に移り住んで研究を続ける丹羽さんに玄侑さんが県民目線で話を聞いた。御用学者という言葉が世間に流れ、専門家の意見が信用されなくなった今、この状況を整理するのが専門家の役割と考える玄侑さんが基準となる線量値について迫ると、丹羽さんは「一律に何ミリと線引きをするのは不毛の議論になる。自分の大切な故郷、そのプライド・尊厳に関わる部分を壊してまで線量を考えるのではなく、一人一人自分の物差しで判断することが必要」と老練な科学者は答える。こうした深い議論を番組で紹介し続けていくのが地元ラジオ局の使命だ。

授賞理由

 東日本大震災は複合災害だが、特に福島は原発事故という人災から抜けられない状態がこれから何十年も続く。なぜ原発事故が起きたのか、その解明を徹底的にすると同時に起きてしまった事故にどう対処していくべきか、その情報提供もメディアの重要な使命だ。
 原発事故の場合、科学的側面の強い「安全」保障と心理的な「安心」とは現実問題として取り扱いが難しい。このラジオ番組は作家である僧侶と原子力問題を専門とする科学者に対談させ、安全と安心の根本問題に迫ったところに素晴らしさがある。これは映像にとらわれやすいテレビよりラジオの方がやりやすい適切な題材であり、メディア特性を生かした作品として高く評価できる。

坂田賞一覧