第15回坂田記念ジャーナリズム賞(2007年)

(敬称略)

奨励賞=海外研修補助

・朝日新聞虐待問題取材班
(代表=西見誠一・社会グループ記者)
長期連載「ルポ虐待」

 1週間に1人の割合で子どもが虐待死している。児童相談所 への虐待通知件数はこの20年足らずで30倍に膨れあがった。だが虐待事件が起きると、加害者や児童相談所を一方的に非難して終わり、といった集中豪雨的な報道が目立ち、「かえって問題の本質が見えづらくなっている」との指摘もあった。そこで「現場に密着し、淡々と事実を重ねることで、真の問題がどこにあるのかを探れないだろうか」とルポを企画した。
 「児童相談所24時」「児童養護施設」「母親」「ある事件」「教師たち」「里親」とテーマを 変えながら連載を続け、児童相談所の驚異的な忙しさ、被害者が抱える深刻なトラウマ、親支援の大切さと難しさなど、これまであまり光が当たらなかった課題を浮かび上がらせた。
 第4部の「ある事件」は、娘を虐待で死なせ、「鬼父母」と報じられた夫婦を粘り強く説得して記事化したもので、母自身の被虐待体験が事件と密接に絡んでいたことを解き明かした。また、一連の取材は、兵庫県三木市で起きた女児虐待をめぐり、小学校の校長が保護の経緯を市議に漏らす、という問題を取り上げた07年12月の特報にもつながった。取材班に寄せられた意見は計約300通にのぼる。記事は、民生委員や保健師らの研修で教材として使われているほか、「子どもの虐待防止推進全国フォーラム」(厚生労働省主催)でも紹介されるなど、専門家の高い評価も得ている。
 選考委員会では「丹念な取材活動によって、子どもの虐待死の痛ましい現場を報道している。しかも、児童相談所などの問題点も鋭くえぐり、その解決の方向を暗示している。目下の重大な社会問題のひとつに警鐘を鳴らし、世論を喚起した貴重な連載企画である」「各テーマに応じた念入りな取材がなされているが、やはり問題点として残るのは、虐待の原因と虐待対応の難しさだ。改正児童虐待防止法が昨年成立したものの、積極的立ち入り調査から “福祉警察〟にいたる不安を感じている施設の立場。虐待者本人も取材者も虐待防止の十分な解明ができないでいる。社会の悩みは尽きない。ただ、この取材に添付された2枚の写真。「児童養護施設の子どもたち」「児童養護施設近くの学校で』には、この難問の解答が示されているようにもみえる。朝ごはんが終わって職員の手が空くのを待ってひざの上に飛び乗る子どもたち。母親の元に帰ることになって、雨の 降るなか見送ってくれた先生にそっと傘を差し出す女の子。これらの写真からは『大丈夫だよ』という声も聞こえる。カメラマンに拍手を贈る」「虐待問題の解決に新聞の力を信頼している」などと評価された。

・NHK大阪放送局朝鮮通信使400年取材プロジェクト
(代表=吉村伸吾・編成部チーフプロデューサー)
かんさい特集「朝鮮通信使400年 その知られざる歴史」

 2007年に開始400年を迎えた朝鮮通信使。鎖国時代に大行列を率いて朝鮮からやって来た朝鮮通信使は、各地で華やかな文化交流を繰り広げたため、従来、日韓友好の原点として捉えられることが多かった。しかし、朝鮮通信使は単なる親善使節ではなく、重い使命を帯びた外交使節だった。その使命とは、文禄慶長の役で日本に連れ去られた朝鮮半島の人々を救い出し、祖国へ連れ戻すこと、「刷還」だった。
 この番組は、初期の通信使が担っていたこの使命「刷還」に焦点を当てた。通信使が実際に連れ帰ることのできた人は僅かであり資料も乏しいため、連れ帰ろうとして果たせなかった人々、その子孫、さらに文禄慶長の役で朝鮮側に投降した日本人「降倭」まで掘り起こして、現代にまでつながるその意義を問い直し、朝鮮通信使観に新たな一面を付け加えた。
 なお、本番組は朝鮮通信使400年を記念して、NHK大阪がKBS釜山と共同で企画した 2番組のうちの一つであり、KBS釜山制作の関連番組とともに韓国でも放送され、好評を得た。日本でも、KBS釜山制作の関連番組とともに放送され、朝鮮通信使を、国を超えて理解することに資した。
 選考委員会では「知っているようで詳しく知らなかった朝鮮通信使の歴史についてとても分かりやすく、しかも興味深く見せてくれた優れた番組である。そのキーワードとなった「刷還」や「降倭」という視点が朝鮮通信使の意義をいっそう明らかにした。つまり、ナゾ解きの要素を番組に盛り込むことによって視聴者の関心を自然な形でひきつけることに成功している。映像的資料の多様な組み合わせを駆使し、その知られざる歴史を説得的な画面にして見せてくれた。学校などの教材としても有用な番組である」「朝鮮通信使についての初歩的な歴史解説書や市民運動の呼びかけ文などでは両地域互恵平等の証のように書いてある。その位置づけは朝鮮半島の南北双方の在日団体からも長い間共有されてきた歴史理解であった。しかし、歴史家による文献学的な研究が進み、それが文禄慶長の役における朝鮮人捕虜を取り返すための使節であったことが描かれる。専門的論文や研究書だけでは一般市民が知ることができない情報を日本各地の関連フェスティバルなどを紹介しながら行う番組制作は見事である。また、この番組制作が韓 国KBS釜山との共同企画として行われたことも、両国民の相互理解の促進に貢献するものとして評価できる」などと評価された。

昨年の研修

・朝日放送「ムーブ!」社保庁の闇取材班
(代表=藤田貴久・報道課長)
イギリス教育見聞録 朝日放送ディレクター 藤田貴久

 伝統と定評あるイギリスの教育に、日本の教育再生の鍵を探った。イギリスの教育で興味をひかれるのは「ボーディングスクール」と呼ばれる全寮制の学校である。その典型が「ザ・ナイン」と呼ばれる9つのパブリックスクールである。名前からは公立校を想像するが、実際には私立校で、生徒は出身地・居住地を問わないとの意味からそう呼ばれているようだ。 代表的な学校を紹介する。
 最古のパブリックスクールとされるのがウィンチェスター・カレッジ。かつての首都ウィンチェスターで1382年創立された。受付に着いて驚いた。中世のままの石造りの建物が並び、そこを抜けて構内に入る。圧倒される規模。日本の総合大学並みに広い。創立当時の建物を中心に校舎やグラウンドが広がり、ラグビーに似た独自のスポーツに興じる生徒の姿が目に入る。木々の間には川も流れている。ここで日本の中2から高3に相当する生徒700人弱が寮生活を送っている。600年の歴史を経て培ったこの学校の校風は「自由」である。 自分で考え行動する学生を育んでいる。学校長(ヘッドマスター)によると、ここの生徒の多くは『社会を陰ながら支える」官僚や法廷弁護士といった職業につくという。パブリックスクールの出発点は、国王を補佐する人物の養成だったため、その伝統が今も人材を作っているようである。
 チャーチル首相やインドの初代首相ネルーの母校として知られるハロースクールは、ロンドンの北西に位置し1572年に設立されている。700人余の生徒が11の寮に分かれ、丘に建ち並ぶ校舎と取り囲むグラウンドやゴルフ場、五輪強化選手も練習に使うというトラックで学んでいる。毎年世界のトップ大学に多数が進学するが、ここの特徴は、スポーツや音楽に力を入れていることだ。入学試験の際には、何の楽器が弾けるのか、何のスポーツができるのか、必ず質問される。なぜなら入学後、演奏会や連日のスポーツが待ち構えているのである。寮対抗の試合をはじめ、ライバル校であるイートンなどとの試合は非常に重要なイベントである。学業がおろそかなことはなく、博士号を持った教師らが授業にあたっている。ここの教育方針は「学力はもちろんのこと、社会性も学ばせ、社会をリードする人物を作ることだ」とヘッドマスターは話す。「健全な体には健全な精神が宿る」ということなのだろう。
 イギリスの全寮制の学校は世界的にも人気が高いと聞いてはいたが、直に接してその良さが見えた。それは、子どもが豊かな自然の中で社会の喧騒と離れ、子どもらしく生きる姿だ。教育はそれに尽きるのだろう。

・毎日新聞大阪本社世界考古学会議取材班
(代表=佐々木泰造・学芸部編集委)
古代アンデスの遺跡を訪ねて 佐々木泰造

 日本から見ると地球の反対側にあるペルーの遺跡に関心を持ったのは10年前、加藤泰健・関雄二編『文明の創造力」(1998年、角川書店)に出合ったときだ。1958年に始まった日本の調査団によるアンデス文明研究の歩みを振り返ったこの本では、紀元前2500年から紀元前後までの形成期と呼ばれる時代に、古代アンデス社会が神殿を中心として組織化され、古い神殿を壊したり、埋めたりして神殿を更新したことが文明を生み出す原動力になったと記している。
 ちょうどこのころ、弥生時代の大規模集落である池上曽根遺跡 (大阪府)で紀元前1世紀の大型建物の跡が発掘調査され、複数回の建て替えが行われていたことが判明した。島根県の出雲大社では3本1組の巨大な柱が発掘され、高さ48mと伝えられる古代の高層神殿が現実味を帯びてきた。出雲大社の本殿は何度も倒壊したという記録があり、意図的に倒して建て替えたという説が出されている。
 遠く離れたペルーの遺跡の神殿と、古代日本の祭祀建物の間に文化の伝播による相互影響があったとは考えにくい。神殿更新は人類の文明に共通する行為だった可能性がある。
 国立民族学博物館の関雄二教授がペルー北部山地のパコパンパ遺跡で発掘調査をしていることを知り、現地を訪ねることにした。
 ペルーの首都リマまでの飛行時間が19時間。さらに北海岸の大都市チクライヨまで飛行機で1時間半。そこから絶壁を縫うような山道を四輪駆動車で8時間走る。
 パコパンパ遺跡は標高約2500mの山地にある。幅約100m、長さ約400mの範囲に3段にわたって基壇が造成され、その上に巨大な石積みの祭祀建造物が設けられた。ここでどのような文明の興亡があったのか。日本の学際的な調査団、ペルーの考古学者やサン・マルコス大学の学生のほかに村民約30人も作業員として参加して発掘調査が行われていた。形成期の次の地方発展期(紀元前後~西暦600年ごろ)には、南海岸では地上絵で知られるナスカ文化が栄え、パコパンパに近い北海岸ではモチェ文化が国家段階の社会を形成したのに、 パコパンパなど形成期の文化が国家を造ることなく衰退した理由を明らかにすることが調査の狙いだ。
 今後10年以上かけてこの遺跡を調査し他の遺跡とも比較しながら、古代アンデス文明誕生の謎の解明に取り組むという。これは古代アンデス考古学の貴重な調査成果となるだけでなく、日本の古代社会を考えるうえでも大きな示唆を与えてくれるだろう。世界の中で日本の考古学を考えるという世界考古学会議大阪大会で得た視点が生かされた取材旅行となった。

第15回坂田賞授賞理由

第1部門(スクープ・企画報道)

新聞の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★京都新聞社「絆つむいで」取材班
 代表=向井康・社会報道部市民担当部長
 連載企画「絆つむいで」

推薦理由

 2006年11月から07年6月にかけ全5部構成で計35回にわたって掲載した。親が子を虐待し、子が親を殺害するといった痛ましい事件が各地で相次いでいる。うかがい知れない事情があるにしても、家族の結びつきはそんなにもろいものだったのか。親と子の絆や家族のつながりは、その家庭がどのようなかたちであろうとも、絶対にあたたかいはずだ。そのことを読者とともにあらためて確認したい。それが連載の意図だった。家族間の問題という「気持ち」の部分を書くわけだから、抽象的な表現では伝わらない。具体的に、丁寧に書いていかないと、説得力はない。そのためにも毎回、実名表記を原則とした。
 多くの反響が届いた。記事で取りあげた家族と同じ状況にある人、連載を読んで自分の家族に思いをはせる人、紙面に出てきた家族に励ましを送る人……。寄せられた読者の声は随時、紙面で紹介した。家族間の事件が社会問題化するなか、この連載企画は市井に埋もれた話を掘り起こし、しっかりと書き込むことで、読者と当事者と記者が思いを共有できたのではないかと自負している。

授賞理由

 選考委員会では「家族の人間関係の歪みやほころびがあらゆる場面で露呈し深刻な社会問題となっている現状を、具体的な事例の取材を提示して読者に問いかけている。しかも、その実例を手がかりに、その絆を回復する方途も指し示し、読者にどうすべきかを考えさせてくれる。問題を投げ出すのではなく、読者と当事者と記者が思いを共有するという意図が、この丹念な取材活動によって見事に結実している。その反響の一部が『読者の声』にも判読されよう。取材班の熱意と努力が紙面からもにじみでている」「社会問題を扱うとき①社会全体の構造への位置づけ②家族等の親しい周縁③個人とその内面という3つの方向からのアプローチが考えられる。そしてそれらの3つの局面の総合から全体像が浮かび上がる。『絆つむいで』は第3のアプローチを採用して現代社会の問題に肉薄したすぐれた連載企画だ。とくに第二部の『家の箍(たが)』は新聞記事にしにくい題材だが、よくまとめられている。さらに、こうした個人的な問題にかかわる連載を実名表記で行えたことは、記者と被取材者とのあいだの信頼関係の強さを伺わせ、評価できる」などと評価された。

放送の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★サンテレビジョン報道部記者・大里いずみ
 スペース2007「記憶結んで共に歩く 若年アルツハイマーを生きる」

推薦理由

 若年アルツハイマー=若年認知症の患者は3万人とも6万人ともいわれている。しかし、確かな原因や治療法はまだ見つかっていない。記憶が失われていく病と向き合いながら、患者と家族も生ある限り、その人らしく生きていくとはどういうことなのか……。妻が認知症を発症した二組の夫婦の姿を番組は見つめる。
 「公園の「園」の字が書けない」。神戸市須磨区に住む酒井きよ美さんは48歳の時、夫の邦夫さんにそう訴えた。きよ美さんはその後、アルツハイマー病と診断され、邦夫さんが働きながら自宅で介護を続ける。仕事と介護の両立は12年目を迎えた。
 川西市に住む明石千鶴子さんは8年前、57歳の時にアルツハイマーを発症し、美容師として働いていたエステサロンも辞めざるを得なくなる。夫の澄治さんは夫婦で外出する際、認知症の妻に化粧を施すが、症状の進行した千鶴子さんにはそれすら分からない。澄治さんはストレスから病気になり、いつまで介護を続けられるのか不安が募る。「お父さん、助けてな」。発症してからほとんど言葉を発しない千鶴子さんがある日つぶやいた言葉が心を打つ。
 酒井きよ美さんが「余命5年」と宣告された日から12年の歳月が流れた。きよ美さん、邦夫さん夫婦は明日に向けゆったりと、しかし確かな足跡を刻み続ける……。番組は、若年認知症を抱える二組の夫婦にそっと寄り添い淡々と映像を刻んだ。

授賞理由

 選考委員会では「アルツハイマーの進行をゆるめることを祈りつつ、一緒に生を過ごしてゆきたいという願望。二人三脚というが、この夫たちは知、情、意とも一人二役を演じなければならない。しかし、悩み苦しみを分かち合う仲間たちもいる。治療の姿、施設でたすけ合う人々の姿。こういう現実を描きながら、ご夫婦のお顔は穏やかで、お人柄がしのばれ、題材に似ず、不思議に画面が爽やかである。制作者の愛情が感じられる」「若年認知症の実態を映像を通して苦労の日々をしっかり伝えていた。こうした病状の一端や介護の様子はやはり映像や音声でなければ表現できぬ部分がある。この番組は二組の夫婦の大変な日常をごく淡々と記録することで、かえってそれが見る我々に鋭く迫って感じられた。つまり、声高でなく、じっくりと夫婦をみつめる眼がひとごとでないという切実感を訴えていたと思う」「二組の夫婦のどちらも患者が妻であるのが驚きだった。ご主人たちもまことに優しく、仕事も続けながら献身的に介護しておられるのに頭が下がった。制作者兼ナレーターは女性で、きめこまかな感動的なつくり方だった」などと評価された。

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

新聞の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★毎日新聞大阪本社 公害問題取材班
 代表=成田淳・編集制作センター室長
 中国「がんの村」をはじめとする「シリーズ公害」の特集と連載等

推薦理由

 イタイイタイ病が初の公害病に認定されて40年目の2007年。かねてから公害問題に先駆的に取り組んだ実績を持つ毎日新聞大阪本社編集局は、高度経済成長期の「負の遺産」を見つめ直し、未来や世界に貴重な教訓を伝えようと「シリーズ公害」企画を始めた。
 第1部で四大公害病の発生からこれまでを検証。今も多くの被害者が苦しみの中にある ことを紹介したが、これらの取材を通じ、急速な経済発展の陰でかつての日本と同じ公害が 深刻化している中国の問題を最重要テーマの一つと位置づけた。中でも、住民にがんが多発し、「がんの村」と呼ばれる広東省の涼橋村を、日本の新聞社としては初めて取材。訴えるすべのない農民の苦悩などをまとめたルボを含め、2回の全面見開き特集や連載「がんの村」などでカラー写真とともに紹介した。英訳した特集はインターネットで世界に発信され、米CNNなど他メディアも後追いした。
 被害者に寄り添い実態を掘り下げた視点や、断片的にしか報じられてこなかった中国の公害の全体像に迫った内容は研究者からも高い評価を受け、「日本の資料を翻訳して伝えたい」など多くの反響を呼んだ。また、08年3月には中国から研究者や弁護士を招き、日中公害シンポジウムを開いた。

授賞理由

 選考委員会では「公害問題に長年持続的に取り組んできた毎日新聞大阪本社の新しい公害シリーズの成果の一環。ことに今回は公害が深刻化している中国の『がんの村』を初めて取材し、農民の苦悩や水問題に象徴される環境破壊の実情をカラー写真と共に分かりやすく読者に提示している。急速な経済発展の陰で農村地域とそこに住む住民たちがいかに苦しい状況に追い込まれているか、これがひいては世界の環境破壊と強く関連している事情をも明らかにしている。この道が日中双方に公害の現況に対して再認識を迫る重要なきっかけとなるなど、国際交流や国際理解に大きく貢献している」「スクープとしても国際交流・貢献としてもすぐれた記事である。今の中国が日本より30年遅れてかつての日本の途をたどっているのを確認できること自体哀しい。読者の年齢層は日本の公害発生源で働いた世代であり、その人たちが反中国の感情を持つことなく、市民の立場から途上国支援に 動くことを期待したい」「日本の高度経済成長の『負の遺産』となった公害問題を、中国の為政者にもよく研究してもらいたい。日本の経験を生かし、自国民の健康問題、安心安全な食品や日用品の生産に目を向けて、輸出国として高いレベルを目ざしてほしい」などと評価された。

放送の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★読売テレビ「やくそくの里」取材班
 代表=小島康裕・報道局ディレクター
 NNNドキュメント’07「やくそくの里〜コウノトリとともに生きる〜」

推薦理由

 2007年7月31日、兵庫県豊岡市で一羽のコウノトリが巣立ちした。自然界でコウノトリが巣立ったのは、実に46 年ぶりのことだ。36年前、この鳥は人間が使用する農薬で餌を失い、体を蝕まれ姿を消す。その後、人工繁殖の成功まで24年、放鳥まで30年の歳月が費やされた。
 番組では、06年の放鳥に参加した地元の小・中学生が、再びコウノトリが舞う空を取り 戻すため、無農薬の米作りに挑戦する過程を、コウノトリの産卵、誕生、成長とともに丹念に取材。コウノトリと共存する里作りの難しさ、重要さを、身をもって学んでゆく姿を描いた。
 野生のコウノトリを甦らせる取り組みは、ロシアから贈られたコウノトリの人工繁殖か ら始まった。国境を越えたプロジェクトは、半世紀近い試行錯誤の末、ようやく実を結びつつある。
 「かならず自然に帰す」。かつてコウノトリと交わした約束を引き継ぐ子どもたちの生き 生きした表情と大空を舞うコウノトリの美しい映像が感動を呼んだ。

授賞理由

 選考委員会では「長期間取材を続け、コウノトリの野生のヒナが巣立ちするまでを追った優れたドキュメント。コウノトリを自然に帰す町ぐるみの苦労、子どもたちの田んぼづくりなど、コウノトリがすめる環境をつくる姿が感動的だった。あっという間に親と同じくらいの大きさになったヒナドリが、ふわりと巣から飛び立つ姿もきっちりととらえられていた。 人間のまわりに鳥や小動物がいなくなることは、人間の生存も危うくなること。環境問題 を考えるうえで貴重な映像である」「自然生息するコウノトリは絶滅した。その原因は科学が自然に勝つという妄想と人間生活の便利さを最優先した結果であることは今では誰でも知っている。この番組が描いているのは、そうした過去の農薬使用の弊害なども描きながら、子どもたちが楽しみつつ、自然との共生を実践していくところがよい。家族向け番組としても学校教材としても秀逸である。さらには、絶滅後のコウノトリの復活作戦のために、ロシアからの援助などが国際親善交流の実例として描かれ幅広いオーディエンスへの配慮がされており、好感がもてる」などと評価された。

坂田賞一覧