第11回坂田記念ジャーナリズム賞(2003年)
(敬称略)
第1部門(スクープ・企画報道)
新聞の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(2件)】
★産経新聞連載企画「食大全」取材班
代表=佐藤泰博・大阪本社社会部次長 ★京都新聞社「第3回世界水フォーラム」取材班
代表=桑原毅・社会報道部部長代理
放送の部
該当作なし
第2部門(国際交流・国際貢献報道)
新聞の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
放送の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
海外研修補助
・朝日新聞「ダスキン事件」取材班
(代表=緒方謙・大阪本社地域報道部次長兼社会部次長)
清掃用品レンタル最大手「ダスキン」(大阪府吹田市)の千葉弘二元会長らが取引先に1億8000万円の不正な資金を提供し、東京地検特捜部が特別背任の疑いで捜査を始めたことを特報した。さらに、ダスキンから土屋義彦・埼玉県知事(当時)の長女、市川桃子氏のコンサルタント会社に、この取引先と大手広告会社の2社を経由させる不明朗な方法で計約1000万円が支払われていたことをスクープした。
とりわけ後者のスクープは、東京地検特捜部が特別背任事件後に、市川氏の立件を想定していることを他社に先駆けて明らかにしたもので、参院議長、全国知事会会長などの要職を歴任した土屋知事が辞任するきっかけをつくった。
選考委員会では「ダスキン元会長らによる不正な資金流用事件を手がかりに、当時の土屋義彦埼玉県知事にからむ政治資金規正法違反容疑をいち早く特報した地道で適切な報道活動はスクープ・企画報道として優秀である。とりわけ土屋知事の長女のコンサルタント会社への不明朗な資金提供のスクープは、大物知事として君臨した土屋氏の辞任を余儀なくさせるきっかけとなり、ジャー ナリズムとしての監視機能を発揮した」と評価された。
・NHKスペシャル「阪神を変えた男~監督・星野仙一~」取材班
(代表=大宮龍市NHK大阪放送局報道部部長)
阪神タイガース・星野仙一監督は、徹底したリストラの断行や、選手コー チへの意識改革で、「ダメ虎」と言われ低迷してきたチームを18年ぶりのリーグ優勝に導いた。
NHKは今回、これまでほとんど取材が許されなかった極秘のコーチ会議、甲子園球場の監督室などに密着取材。体力の限界やプレッシャーと闘いながら指揮を執る星野監督の姿や、コーチ・有力選手へのインタビューをもとに、知られざるチーム改革の舞台裏を描いた。 番組は関西地区で視聴率25.0%を記録するなど、大きな反響を呼んだ。
選考委員会では「星野阪神の活躍を映像としてよくまとめた。企画力、取材力、集中力、 娯楽性に富んだ、時宜を得た執念ある作品」と評価された。
昨年の研修
毎日新聞「世界子ども救援キャンペーン」取材班
(代表=中島章雄・社会部副部長)
忘れられた国の子どもたち 大阪本社社会部・一色昭宏
罪のない子どもだちが手足を切断され、兵士として殺人や略奪を強要される。スラムでごみに囲まれた暮らしを強いられ、病気になっても満足な治療すら受 けられない……
毎日新聞大阪社会部「世界子ども救援キャンペーン報道」の坂田賞海外研修対象受賞を機に、2003年7月から1カ月余り、内戦が終わったばかりの西アフリカの小国シエラレオネを訪ねた。同じ時代を生きる者として、その悲惨さを伝えたいと思っての取材だったが、内戦の傷跡と貧困の深刻さは想像をはるかに越えた。
1000人中316人。3人に1人が5歳の誕生日を迎える前に命を落とす世界最悪の乳幼児死亡率が、この国の子どもたちの置かれた状況を端的に物語っていた。平均寿命は日本の半分以下の34歳。世界の注目が集まるイラクやアフガニスタンに比べ、ほとんど馴染みのない国だが、その実情に目を向け、関心を持ち続けることが何より重要だと痛感した。
91年に始まった内戦は10年余り続いた。同国東部で産出されるダイヤモンドの利権を巡り、隣国リベリアに支援された反政府勢力が武装蜂起したのがきっかけだった。人口約460万人のうち5万人が死亡、200万人以上が故郷を追われた。
シエラレオネ内戦の悲劇は、反政府勢力が無差別に行った「手足切断作戦」に象徴される。 「殺さず、障害者を発生させて敵の負担を強いる」という狙いから、兵士だけでなく多数の子どもを含む数千人の被害者が出た。首都フリータウンのアンプティー(切断された人たちの)キャンプで、右腕のない女の子(8)が水くみを手伝う姿には衝撃を受けた。腕を切断された時は4歳。左腕だけでは他の子どものように水を入れた容器を頭に載せることができず、体をくねらせ、自宅まで休み休みに運んでいた。
「この子を誘拐し、腕を切り落とした兵士たちはみな薬漬けだった。人間のやることじゃない」。同居するおばさんは吐き捨てるように言った。
左腕を切断された少女(17)は傷口の縫合部の痛みに苦しんでいた。手術が必要だがお金がなく、病院に行っても痛み止めの薬を渡されるだけ。学校に通えず、家族が引き取れないため1人でキャンプに暮らしていた。被害者は老若男女を問わない。みんな仕事がなく、口々に「外国の援助なしに生きてゆけない」と訴えていた。
1万人以上といわれる「元子ども兵」にも出会った。少年と同様に銃を持たされた少女も多く、「元少年兵」という言葉ではくくれないことを実感した。子どもたちの多くは10歳にも満たない時に反政府勢力に誘拐された。学校を襲われ、クラスごとさらわれたケースもあったという。ある少年は「戦闘に駆り出される時はいつも最前線。大人たちは後からついて来た」と証言した。
子どもたちの自立を支援しようとパソコン講習を行っているNGOスタッフは「使う順番などささいなことですぐにけんかになる。突然キレる子も多い」と気をもんでいた。内戦中、数え切れないほど人の死に接した子どもたちの心のケアも急務だと感じた。人口が急増し、悪臭漂うスラムでは、洗濯もトイレも遊び場も同じ川。診療所の薬は不足し、日本では容易に助かる命が次々に失われていた。
取材中、何度も絶望的な気分になったが、救われたのは、子どもたちの表情が明るかったことだ。両親を殺された、オノで右目をえぐられた16歳の女の子は「人のためになる仕事をしたい」と言い、右足を失った16歳の少年も「しっかり勉強して手に職をつけたい」と前向きに将来を見据えていた。
連載記事を書いた後、これまでに十数回小中学校へ「出前授業」に出かけた。「私たちは何をすればいいんですか」と尋ねられる度に「まずは関心を持って」と答えてきた。無関心によって悲劇は拡大する。特効薬はなくても、自分に何ができるか、一人一人が自分の頭で考えてほしいと考えたからだ。取材の成果は記事だけでなく、教育現場の先生方の協力を得て 難民教材ビデオ」という形になった。少しでも、日本の子どもたちの理解が広がるきっかけになればと思う。
ようやく笑顔が戻り始めたシエラレオネの子どもたちの表情が2度と曇ることがないよう、これからも関心を持ち続けたい。
第11回坂田賞授賞理由
第1部門(スクープ・企画報道)
新聞の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(2件)】
★産経新聞連載企画「食大全」取材班
代表=佐藤泰博・大阪本社社会部次長
推薦理由
平成12年6月の「雪印乳業集団食中毒事件」を機に、「食」の安全性に対する国民の関心は一気に高まった。その後もBSE (牛海綿状脳症)問題や日本ハムグループなどによる偽装肉事件などが続き、関心は高いまま推移してきた。そんななか産経新聞は、「われわれが日々口にしているものは本当に安全 なのか」「食糧自給率がこれほど低い状況で、さまざまな食材はどこで作られ、どうやってわれわれに届けられているのか」「次から次に登場する健康食品、ダイエット法はどこまで信頼していいのか」といった国民の基本的疑問に答え ていく必要性を痛感し平成14年10月、朝刊社会面で連載企画「食大全」をスタートさせた。
読者が気楽に読めて、かつ身近な問題と感じられるよう、軽快なタッチの文体を心がけた。さらに、知っているようで案外知らないことや、なぜか誤って認識していることなどを、最新情報をふんだんに盛り込みながら指摘した。「食」に対する国民の関心に応えるとともに、正しい知識の提供によって日常生活における「食事」の重要性を訴えることに貢献した。
授賞理由
選考委員会では「本企画はわが国の食糧自給率の低さ、食材や健康食品の現状をわかりやすく訴え、それに対処する心構えや正しい知識の提供などを粘り強く、かつ興味深く連載を持続した。この種の啓蒙記事は高踏的になりがちだが、この連載の文章はわかりやすい書き方で説得力があった」と高く評価された。
★京都新聞社「第3回世界水フォーラム」取材班
代表=桑原毅・社会報道部部長代理
推薦理由
京都新聞社は1997年の地球温暖化防止京都会議(COP3)を契機に、21世紀の重要な課題である「環境」の報道に継続して取り組んでいる。今回の連載企画「水の世紀を生きる」を中心とした第3回世界水フォーラムについての一連の報道は、2003年3月16日~23日に京都、滋賀、大阪の3府県で開催された第3回世界水フォーラムをテーマに据え、2002年5月から2003 年3月まで企画「水の世紀を生きる」を計5部42回にわたって連載したほか、月1回の1ページ特集「水―地域で世界で」を11回掲載。会議開催中は1ページの特設紙面「水フォーラムひろば」も設け、世界の水問題について多角的なキャンペーン報道を展開した。
授賞理由
選考委員会では「マスメディアの社会的使命がオーディエンス(読者・視聴者)に明るい未来への展望を拓き、現在の社会状況のより適切な判断への基礎資料の提供であることを考えると、この連載は①スクープを連発し②企画記事としての要素もあわせもつ優れた連載記事である。この一連の記事は、国家・政府がともすれば市民を犠牲にしてしまいやすい、水という日常のテーマについて、各専門家と消費者としての市民や政治家に克明に取材した報道となっている」と評価された。
第2部門(国際交流・国際貢献報道)
新聞の部
【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★毎日新聞「バーミヤン西方遺跡」取材班
代表=佐々木泰造・大阪本社学芸部副部長
推薦理由
アフガニスタン・バーミヤン遺跡の西約120㌔で、写真家の中淳志さんと山田明爾・龍谷大学名誉教授によって世界で初めて確認された未知の仏教寺院と城砦跡について、2人の現地調査に同行して取材し、遺跡の存在をスクープによって知らせるとともに、一連のキャンペーンを通じて、遺跡発見をアフガン文化への日本の支援や国際社会の平和協調に生かすよう訴えた。
この遺跡発見が学術的に重要であるばかりでなく、文明の対話が求められている現代世界の問題の解決にも役立てることができるという視点で、緊急連載「時空を超えて」(3回) では、アフガンが歴史的に日本と無縁ではなく、戦禍を受けたアフガンの文化財の調査・保存への日本の支援の必要性を指摘し、オピニオンコラム「記者の目」「西論風発」では、遺跡についての国際共同研究の題材とすることを提言した。
授賞理由
選考委員会では「イラク戦争の衝撃で忘れられかけていたシルクロードによる東西交流史の重要性に再び注目させた点でも『国際交流・国際貢献報道』にふさわしい優れた報道活動である。海外での考古学調査はとりわけ困難な学術調査と聞き及んでいるが、取材する新聞記者の苦労も並大抵ではないと思われる。交通も不便な現地での丹念な取材と、その学 術的な意義を読者に関心を向けるよう解説した紙面づくりも非凡である。また、そうした活動全体を視覚的に提示した写真の印象もひときわ有効であった」と評価を得た。
放送の部
★読売テレビ放送制作局エグゼクティブプロデューサー・中川禎昭
「さんとす丸の17家族」
推薦理由
昭和27年、まだ敗戦の傷跡が残る神戸から戦後第1回のブラジルへの日本人移民として、希望に燃えた17家族54人が新天地を目指して出航して行った。日本の戦後南米移民船の就航は1952年から1973年までの21年間。この間、引揚者、農業従事者、写真花嫁、戦争孤児ら約5万人がブラジルに渡った。この戦後ブラジル移民の先鞭をつけたのが「さんとす丸」移民の54人であった。
このたび、彼らが移住するときに船上で書いた文集や、渡航直前に撮影され記念写真などを入手できた。番組では、こうした文集や写真、それに初めて明らかにされた証言などを手がかりにして、戦後1回目の移住者たちの足跡を、最初の入植地であるアマゾン川流域からブラジル各地に執拗に追い求めていくとともに、当時この移住に関わった外務省のずさんな移民行政を浮き彫りにした。この番組は日本人のブラジル移民史の空白を埋めるものとして、ブラジルの日系人の間でも大きな反響を呼んでいる。
授賞理由
選考委員会では「戦後の飯なし、職なし、家なし、土地なしの帰国者を農民に仕立て、しかるべき施策もないのに黄金郷の夢さえ持たせ、アマゾン中流の町から200キロも奥地の無医村へ送り込み、ノイローゼ、果ては自殺にまで追い込んだとは。彼らは棄民たらざるを得ない。外務省はどういう企画を立て、施設を用意し、彼らの生活の便を計ったのか。インタビューに出た役人の表情はするべきことをしていない能面である。棄民の立場から権力者と行政のあり方を糾弾するのが文学であり、ジャーナリズムである。その点で、この作品はジャーナリズムの精神が生きていることを示した。生き延びて番組に登場された皆さんに拍手を送るとともに、いまだに国民の視点に立てない行政の冷たさを残念に思う」と絶賛された。