第8回坂田記念ジャーナリズム賞(2000年)

(敬称略)

海外研修補助

・産経新聞大阪本社雪印とそごう取材班
(代表=別府育郎・社会部次長)
連載報道「雪印とそごうブランドはなぜ墜ちたか」

 1万3420人という過去最多の食中毒被害者を出した雪印乳業と、総額1兆8700億円にものぼる負債を出して経営破綻したそごうを対象に、社会部、経済部を中心に取材班を編成し、ニュースを追いながら、2000年8月から「ブランドはなぜ墜ちたか」の連載を始めた。多数の関係者へのインタビュー、集中的で丹念な取材で「事件」の深層に迫った。両社の内部で何が起き、変質していったかを明らかにするとともに、経営陣の危機管理能力の欠如と社会的責任意識の低さを白日のもとにさらし、戦後日本の驚異的な経済成長を支えてきた企業の制度疲労やゆがみとして問題提起した。連載は単行本にもなった。

・京都放送報道部
(代表=近藤晴夫・報道部長)
陪審裁判制度特別報道番組「あなたが裁く!!」

 2000年11月4日午後7時から2時間の放送。司法制度改革の動きを敏感にとらえ、陪審裁判制度を分かりやすく報道した。実際にあった窃盗未遂事件を素材に、陪審裁判ドラマ部分と司法関係者ら識者による討論の2部で構成。日本に戦前、陪審裁判があったことからスタートして、京都地裁から移築して立命館大学構内に現物保存されている陪審法廷を使ってドラマを進行させた。番組のなかで平行して、視聴者からファクスや電子メールによる表決意見を求める市民参加形式を取り入れ、市民の関心と理解を深めた。

昨年の研修

・産経新聞大阪本社ひったくり取材班
(代表=木村正人・大阪府警記者クラブキャップ)
ドイツと日本の医療制度の差 社会部・堀洋記者

 産経新聞で「医療現場で今」という連載企画をしており、日本国内の医療制度や医療の質の問題点を洗い直す取材を担当していたが、この中で海外との比較をする必要にせまられ、ドイツに取材先を選んだ。ドイツには日本人医師の南和友という世界的にも有名な心臓移植医がおられたこと、さらにドイツと日本の医療保険制度が似ていたという点が選択した理由。取材のほとんどは南医師が勤務するバドユンハウゼン市のフルトライン・ウェストファーレン 州立心臓センターで行った。
 心臓センターは一見して日本の総合病院とは全く違った。まず、病院 特有の消毒液の臭いがせず、診療を長々と待つ患者もいないし、そもそも待合室もない。国家的には国立循環器病センター (大阪府吹田市)と似た位置づけだが、その機能や医師のレベルは全く違った。 心臓センターでは、心臓を止めて行う開心術と呼ばれる手術を毎日20例近く行う。当然、医師は毎日、トレーニングを積むため、手術時間は短かくなり、患者の負担は少なくなる。脳死からの心臓移植や心肺同時移植も1週間に2回程度は行われる。日本では心臓の手術は多くても週に1回程度。移植に至っては年に2回ぐらいだ。そのため、日本の外科医の手技は未熟で、ドイツで3時間で終わる手術に一日かけることもしばしばある。心臓センターでは実際に手術室に入れてもらい、心臓移植を見学させてもらったが、移植手術でさえ、4時間で終わった。
 もう一つ制度の点で日本と徹底的に違うのは細分化された専門医制度だ。ドイツでは医師国家試験が大きく言えば2回ある。大学卒業時に受ける試験と外科や内科、小児科など の専門医の認定試験だ。専門医認定試験にパスしないと保険診療はできないため、事実上、医師を仕事にできない。専門医認定試験を受けるには、その専門の病院で2年から3年間、トレーニングしなければならない。トレーニングを受けている医師に適性があるかは、専門病院で監督され、適性がないと判断されれば、早いケースでは半年間で病院を解雇されるという厳しさ。さらに専門医になっても、数年に一度は免許を更新しなければならない。大学卒業後、国家試験に通れば一生、医師として診療できる日本とは違う。
 こうした医療が実践されているドイツでは患者の表情は明るい。日本 の患者たちのように医師を本当に信用できるのかどうかビクビクしている現状とは全く違うといっていい。 ドイツの医療現場の現状の取材は、日本の現状を映す鏡としては極めて有意義だった。日本人は盲目的に日本の医療は世界レベルと信じている。しかし、医学研究はともかく、日常的に行われる診療や治療に関しては天と地ほどの差があることが実感できたのは貴重な体験だった。

・毎日放送 猶原祥光記者(アンコールこども病院取材班代表)
 30年にわたって内戦が続いたカンボジアには今も600万個の地雷が眠り、これまでにこどもたちを含む4万人以上が死傷している。
 毎日放送では、この惨状を目にして小児病院建設に立ち上がった大阪出身の写真家・井津建郎さんとともに1997年から現地同行取材を継続して行なっている。これまでの放送実績は、「筑紫哲也NEWS23」などのニュース番組で現地からの衛星生放送を含む15回、ラジオでの放送2回にのぼり99年3月には、1時間の報道特別番組も放送した。
 また、今年4月には、日本を代表するトランペッター・日野皓正氏が病院を訪れ、治療に訪れた子どもたちのためにボランティアで生演奏をする模様を紹介した。病院は間もなく開院から丸3年を迎えるが、1日平均100人もの患者を抱えながらも教育施設などの拡張に努めている。毎日放送では今後もこうした病院の成長を記録していく予定である。

第8回坂田賞授賞理由

第1部門(スクープ・企画報道)

新聞の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★読売新聞大阪本社野宿問題取材班
 代表=原昌平・科学部主任
 「野宿生活者」連載、ルポ、企画記事

推薦理由

 急増している野宿生活者(いわゆるホームレス)の現状と課題について、全国で最も野宿者の多い大阪市を中心に、1998年12月からルポや企画記事で多角的に報道。公園、地下街などの野宿者を徹底取材して、野宿に至った事情や過酷な生活実態、心情を伝え、リストラ、失業など野宿者を生み出す社会的、経済的要因をクローズアップさせた。「怠け者」といった社会的イメージと異なる実情を伝え、市民の意識改革を促す一方、政策の不在、生活保護制度のゆがみ、社会の偏見と差別などの問題を提起し、解決の方策を掘り下げた。

授賞理由

 選考委員会では「いま、市民が最も心を傷めている問題の一つであり、野宿生活者の実像を多角的に取り上げた努力と熱意がよく伝わった企画」と評価された。

放送の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★每日放送特別報道部記者・坂井克行
 ドキュメンタリー「映像’00かく闘えり・在日韓国人軍属の戦後補償」

推薦理由

 第2次世界大戦で日本の軍属として徴用され負傷した在日韓国人、姜富中さんが1993年に起こした戦後補償を求める裁判をテーマに継続的に取り組んできた。日本人の軍人軍属には国から年間約200万円の障害年金が支給されているが、姜さんには1円も支給されない。ニュースや企画番組で姜さんの苦闘を伝え続けながら、2本のドキュメンタリーを制作。2000年9月10日に「’00かく闘えり」を放送した。南北統一が現実味を帯びてきたこの時期にあっても、なお十分な救済が受けられず見捨てられている人々の無念と国の無策を鋭く追及した。

授賞理由

 選考委員会では「戦争と人権の問題には時効はない。国籍を国家によって翻弄された個人は国家に補償を請求する権利があることを、個人の無念や情念を通して、よく描いている」と評価された。

第2部門(国際交流・国際貢献報道)

新聞の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★神戸新聞神戸コリアン物語取材班
 代表=高士薫・社会部副部長
 連載報道「神戸コリアン物語」

推薦理由

 在日韓国・朝鮮人が「コリアン」として新たな一体感を持ちはじめ、日本人との関係が新しく変化しているのをとらえ、1999年6月から、そんなコリアンたちの素顔を描く連載を始めた。サッカーW杯の日韓共同主催が決まり、Jリーグ地元チームの韓国人3選手の生い立ちから、ゲームでの活躍ぶりを紹介。さらにサポーター席の屈託ない日韓の若者たち、県大会決勝まで進んだ神戸朝鮮高校の部員たちの青春、地域に生きるコリアンたちの日常生活などをありのままに紹介することで、地域でも進む南北融和の様子などを報告した。

授賞理由

 選考委員会では「スポーツという身近な日常の中で、日韓の問題を分かりやすく提起した。 今日性が注目されるテーマをこうした企画で展開する多様な可能性を示した」と評価された。

放送の部

【坂田記念ジャーナリズム賞(1件)】
★NHK大阪放送局ハローニッポン制作プロジェクト
 代表=仁平雅夫・編成部チーフプロデューサー
 ドキュメンタリー「ハローニッポン」

推薦理由

 日本で活躍する外国人を通して「日本の今」を再発見しようと、平成9年に衛星第1放送でスタートしたドキュメンタリー。芸術家、科学者、ビジネスマンから温泉旅館の女将さんまで4年間に45カ国、150人を超す在日外国人を取り上げた。彼らを通して、少子高齢化の日本における外国人労働者のあり方や、無国籍児童の就学問題など、日本が直面する課題を浮き彫りにした。また、在日外国人の普通の生活のなかで人間の絆が結ばれていく過程など、自然な形で国際交流が進む情景などを丹念に描き出した。

授賞理由

 選考委員会では「よくあるテーマだが、丁寧に構成され、楽しい好感のもてる番組。外国人の生き方を通して、改めて日本社会のあり方、国際化とは何かを考えさせる」と評価された。

坂田賞一覧